麻賀多神社の近くに「国造の墓」があるという記憶
成田市船形の麻賀多神社周辺には、伊都許利命という人物の記憶が残っています。
伝承では、印旛国造とされる人物です。
ここにも「墓」とされる場所が残ります。
こういう場所を見る時、まずやってはいけないことがあります。
「墓がある。だから本人がここに埋葬された」
とすぐ決めることです。
古代の人物の墓について、後世の伝承によって場所が定められた例はたくさんあります。
それでも墓伝承を捨ててしまうのも違います。
なぜその場所なのか。
なぜその人物なのか。
なぜ何百年、何千年と名前が残ったのか。
そこを見る必要があります。
麻賀多神社群。
印旛国造の伝承。
古墳。
古代集落。
印旛沼。
そして水路。
これらが同じ地域に重なります。
一つずつなら弱い。
でも複数のものが同じ場所に集まると、その地域が古くから重要だったことは見えやすくなります。
国造とは、単なる役人の名前ではありません。
大和政権と各地域の有力者との関係を考える上で重要な存在です。
もし印旛地域に強い在地勢力があり、その祭祀の一部が麻賀多神社群として残ったのだとすれば、神社の分布は政治史ともつながってきます。
ただし、まだこれは仮説です。
ここからさらに、
古墳の年代。
規模。
集落の年代。
神社の位置。
古い水路。
墓伝承。
全部を一つずつ確認していく必要があります。
私はこの作業が一番面白いと思っています。
一つの答えを証明するために証拠を集めるのではなく、証拠を並べた結果、どんな景色が浮かぶのかを見る。
その景色の中に、本当に伊都許利命のような人物が立っていたのか。
そこまで行ければ、麻賀多神社は「珍しい名前の神社」で終わらなくなります。