「反乱」だったのか。「防衛」だったのか
2014.02.22
歴史を読んでいると、
「反乱」
「征討」
「賊」
という言葉が何度も出てきます。
しかし、この言葉には必ず「見る側」がいます。
律令国家の記録では、国家に従わない人々は反乱者になります。
『日本紀略』に残るアテルイとモレの記事でも、二人は「奥地の賊首」という言葉で記されています。
では、彼ら自身も自分を「賊」だと思っていたのでしょうか。
それは分かりません。
彼ら自身の記録が残っていないからです。
ここが重要です。
「朝廷側の史料に反乱と書いてある」
ことと、
「客観的に反乱だった」
ことは同じではありません。
少なくとも8世紀の東北北部には、律令国家の直接支配が及んでいない地域がありました。国家は城柵を築き、移民を送り、その支配地域を北へ広げていきます。
都側から見れば、
「国土を統一する」。
現地側から見れば、
「自分たちの土地へ別の支配が入ってくる」。
同じ出来事です。
歴史を見るとき、本当に怖いのは嘘だけではありません。
一つの立場から書かれた言葉を、
いつの間にか唯一の視点だと思い込んでしまうことです。
「反乱」という二文字を見たとき、
誰がそう呼んだのか。
一度だけ立ち止まって考えてみる。
それだけで、歴史の景色はずいぶん変わります。
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