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城柵は、何のために北へつくられたのか

2014.02.18

東北には、古代の「城柵」と呼ばれる遺跡があります。

多賀城。
胆沢城。
志波城。
秋田城。

名前だけ見ると、戦国時代の城を想像するかもしれません。

しかし役割は少し違います。

行政施設であり、軍事拠点であり、その地域を律令国家の制度へ組み込んでいくための拠点でした。

宮城県多賀城跡調査研究所は、多賀城など東北の城柵について、通常の国府や郡家には見られない外郭施設を持ち、蝦夷支配への対応が重視されていたと説明しています。

そして面白いのは、その位置です。

城柵は少しずつ北へ進んでいきます。

724年、多賀城。
802年、胆沢城。
803年、志波城。

地図に年代順に印を付けると、国家の境界線が北へ動いていく様子が見えてきます。

城が建つということは、建物だけが来るのではありません。

役人が来る。
兵が来る。
道ができる。
物資が集まる。
周囲の人々との関係も変わる。

遠くの都で一本の線を引けば済む話ではありません。

昨日まで自分たちの土地だった場所に、大きな建物が建ち始める。

知らない人々が増えていく。

古代の東北に暮らした人たちは、その光景を実際に見ていました。

城柵跡には、国家の制度だけではなく、

その時代を生きた人々の戸惑いまで埋まっているように思います。

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