日本人らしさは、どこから生まれたのか
祭りの日。
子どもが走っている。
大人たちは酒を飲み、食べ、笑っている。
太鼓を叩く人がいる。
踊る人がいる。
準備をする人がいる。
少し離れたところから、それを眺めている人もいる。
誰か一人が主役ではありません。
でも、みんながいなければ祭りにはならない。
私は、この風景を見ると、
「日本人らしさって、こういうところから生まれたんじゃないか」
と思います。
日本人らしさというと、
礼儀正しい。
真面目。
勤勉。
我慢強い。
そんな言葉がよく使われます。
でも、それはもっと後から見えるようになった性格かもしれません。
もっと古いところにあるのは、
一緒にやること。
だったのではないでしょうか。
山で暮らす人がいる。
海で暮らす人がいる。
米を作る人がいる。
道具を作る人がいる。
祭りをする人がいる。
得意なことは違う。
考え方も違う。
それでも同じ地域で暮らしていく。
だから、必要な時には力を持ち寄る。
祭りの日には、さらにその姿がはっきり見える。
老人もいる。
子どももいる。
男も女もいる。
仕事の違う人もいる。
普段は別々に暮らしている人たちが、その日だけは同じ場所に集まる。
食べる。
笑う。
踊る。
そして、
「自分たちは同じところで生きている」
ことを確かめる。
私は、日本人の「和」は、難しい思想から始まったのではないと思っています。
一緒に食べる。
一緒に働く。
一緒に遊ぶ。
困った時には助ける。
そんな毎日の積み重ねから生まれた。
だから日本人らしさは、一人の偉い人が作ったものでも、どこかから輸入されたものでもない。
名も残らない普通の人たちが、何千年も一緒に暮らす中で作ってきたもの。
この写真のような風景は、その小さな縮図なのかもしれません。
日本人らしさは、どこから生まれたのか。
私は、
人と人が一緒に生きようとしたところから生まれた。
そう考えています。