吉備の鉄は、なぜ山の中でつくられたのか――総社市の製鉄遺跡を追う
古墳時代の終わりごろ、現在の岡山県総社市周辺では、山の中で大量の鉄がつくられていました。
なぜ、こんな場所だったのでしょう。
手がかりは、山に残された製鉄炉の跡です。
岡山県古代吉備文化財センターによると、日本で鉄の生産が始まったとされる6世紀後半、吉備には約30か所の製鉄遺跡があり、100基を超える製鉄炉が確認されています。特に総社市周辺の西団地内遺跡群や奥坂遺跡群では、多数の炉が見つかっています。
鉄をつくるには、鉄鉱石や砂鉄だけでは足りません。
大量の木炭が必要です。
前回の記事で見た古代の森が、ここでも姿を現します。
木を伐る人。
木炭を焼く人。
鉱石を探す人。
炉をつくる人。
高温を保ちながら鉄を取り出す人。
そして完成した鉄を別の場所へ運ぶ人。
製鉄は、一人の職人だけでは成立しません。
総社市周辺では鉄鉱石を原料にした製鉄の痕跡も確認されており、古代の人々は、その土地にある資源を見ながら生産場所を選んでいたことがうかがえます。
ここから一つの姿が浮かびます。
古代の製鉄所は、単なる「工場」ではなかったのではないでしょうか。
森、水、鉱石、粘土、道、そして働く人々。
必要なものが集まる場所に、人も技術も集まった。
だとすれば吉備で製鉄が盛んになった理由も、「優れた技術者がいたから」だけでは説明できません。
自然環境と技術と共同体が、うまく組み合わさる場所だった。
そんな可能性があります。
そして、もう一つ謎が残ります。
山の中で生まれた鉄は、そこからどうやって各地へ運ばれたのでしょう。
山を下り、川を使い、さらに海へ。
鉄を追いかけると、次に見えてくるのは「船」です。