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縄文と渡来文化はどう混ざったのか

2013.07.09

縄文と渡来文化はどう混ざったのか

「渡来文化が日本へ入ってきた」

そう聞くと、完成した一つの文化が海を渡って運ばれてきたように感じます。

でも、人の暮らしはそんな単純ではありません。

海を渡ってきた人たちが持っていたのは、

水田稲作。

金属器。

織物。

土木。

新しい道具や技術。

そして、それまで暮らしてきた地域の知識です。

一方、日本列島にはすでに長く暮らしてきた人たちがいました。

山や川を知っている。

どこに食べ物があるか知っている。

木や石をどう使うか知っている。

土地ごとの季節や災害も知っている。

両者が出会った時、

どちらか一方が全部を教え、もう一方が全部を捨てたとは考えにくいと思います。

国立歴史民俗博物館は、弥生文化について、縄文系文化と大陸系文化が混ざり合って成立したものだと説明しています。

たとえば銅鐸そのものは大陸由来の要素を持ちながら、弥生文化の中で大型化し、その文様には縄文土器につながる要素が見られると紹介しています。

つまり、

外から来たものをそのまま使ったわけではありません。

日本列島で別の形へ変えている。

ここが重要だと思います。

新しい技術を持ってきた人が、

「こうやって作る」

と教える。

土地の人が、

「この土なら使える」

「この木の方が燃える」

「この場所は水が多い」

と教える。

そして一緒に試す。

その結果、元の地域にはなかったものが生まれる。

これは、まさにものづくりの現場と同じです。

技術だけあっても、土地を知らなければうまくいきません。

土地の知識だけあっても、新しい技術がなければできないことがあります。

両方が出会うことで、新しいものが生まれます。

さらに人同士が一緒に暮らせば、家族もできます。

次の世代にとっては、

「縄文の文化」

「渡来人の文化」

という分け方自体が意味を失っていきます。

両方が自分たちの文化だからです。

国立歴史民俗博物館でも、弥生文化が渡来系の人々、縄文系の人々、さらに東西の地域交流によって各地で多様に展開したと紹介しています。

私は、日本文化の原点を考える時、

「どちらが勝ったか」

ではなく、

「何と何が混ざって、何が新しく生まれたか」

を見る方が大切だと思っています。

縄文と渡来文化は、どちらか一方が消える関係ではなく、

人が一緒に暮らし、働き、試しながら、何世代もかけて混ざっていったのではないでしょうか。

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