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農耕技術は誰が広めたのか

2013.06.26

水田稲作は、ある日突然、日本列島全体へ広がったわけではありません。

国立歴史民俗博物館は、水田稲作が紀元前10世紀ごろに九州北部で始まり、
その後、約600年をかけて日本列島各地へ広がっていったと説明しています。

また、朝鮮半島から水田稲作が伝わり、九州北部からゆっくり広がったという
説明もされています。

文化庁の文化遺産オンラインでは、稲作だけでなく、農具を作るための石斧などの
技術も朝鮮半島から導入されたと紹介されています。

ここで一つ疑問が出てきます。

農耕技術を「広めた人」とは誰だったのでしょう。

一人の指導者ではないはずです。

米の種だけ持って行けば、水田はできません。

水を引く必要があります。

土地を平らにする必要があります。

田を区切る必要があります。

農具も必要です。

収穫した後には保存する技術も必要です。

そして、その土地ごとに雨の量も違います。

土も違います。

川の流れも違います。

同じ方法をそのまま持ち込んでも、うまくいかない場所があったはずです。

だから農耕技術が広がるということは、単に知識を伝えることではありません。

新しい土地で試す。

失敗する。

土地の人に教えてもらう。

方法を変える。

次の年にまた試す。

そうしたことを何世代も繰り返すことだったのではないでしょうか。

そして、ここでも外から来た人だけを見る必要はありません。

土地の人は、その土地を知っています。

どこに水が溜まるか。

どこが乾きやすいか。

どの川が増水するか。

どの植物が育つか。

縄文時代から積み上げてきた自然との付き合い方もあります。

そこへ新しい農耕技術が入ってくる。

すると、どちらか一方が消えるのではなく、二つの知識が組み合わされます。

国立歴史民俗博物館の展示でも、水田稲作が広がった後も地域によって
受け入れ方が異なり、縄文系の祭祀や文化が残ったことが示されています。

これを見ると、

「渡来人が農業を教え、日本人がそれを覚えた」

という単純な話では足りません。

技術を持って来た人。

土地を知っていた人。

途中で定住した人。

その子どもたち。

別の地域へ移っていった人。

そうした人たちが、土地ごとにやり方を変えながら広げていった。

農耕技術は誰か一人が広めたのではなく、何世代もの人たちが、
その土地に合わせながら育てていったものだと思います。

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