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古代人にとって山とは何だったのか

2013.06.27

今の私たちにとって山は、登山をしたり、景色を楽しんだりする場所でもあります。

でも古代の人にとって、山はもっと生活そのものに近い存在だったはずです。

木があります。

薪があります。

木の実があります。

動物がいます。

薬草になる植物もあります。

そして山には水があります。

雨が降り、地面へ染み込み、谷へ流れ、川になります。

平地で暮らす人にとっても、山は決して遠い存在ではありません。

三輪山は、そのことを考えるのに分かりやすい場所です。

奈良県の資料では、三輪山は古くから神の宿る山として信仰され、山そのものを
ご神体とする大神神社の信仰につながっていると紹介されています。

ただ、私はここでも順番を考えてみたいと思います。

「神さまがいる山だから大切にした」

というだけだったのでしょうか。

山から水が来る。

森から木を得る。

山を見れば方向が分かる。

雨雲の動きも見える。

動物や植物から季節を知ることもできます。

つまり、山は毎日の暮らしを支えてくれる存在です。

一方で、山は怖い存在でもあります。

大雨が降れば水が一気に流れます。

山が崩れることもあります。

獣もいます。

道に迷えば帰れません。

恵みと危険が同じ場所にある。

だからこそ、人は山を特別なものとして意識したのではないでしょうか。

また、山は遠くからでも見えます。

奈良盆地のように周囲を山に囲まれた土地では、山の形そのものが
方向を知る目印になります。

今のように道路標識がなくても、

「あの山を右に見て進む」

「あの山の麓まで戻る」

という使い方ができます。

そうすると山は、資源でもあり、水源でもあり、目印でもあり、時には
危険を知らせる存在でもあります。

その山を何世代も見ながら暮らす。

祖先も同じ山を見ていた。

水も同じ山から来る。

木も山からもらう。

そういう関係が何百年も続けば、その山を単なる地形として見る感覚の方が
むしろ不自然になってきます。

山に感謝する。

山を荒らしすぎない。

特別な場所として扱う。

そこに祭りや祈りが加わっていく。

私は、古代の山への信仰も、最初から宗教として始まったのではなく、こうした日常の
積み重ねから生まれた可能性があると思っています。

古代人にとって山は、

神さまが住む場所という以前に、

水をくれ、木をくれ、道を教え、時には災害も起こす、暮らしそのものと結びついた
巨大な存在だったのではないでしょうか。

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