三輪山は「神さまが住む山」だから大切になったのではなく、大切な山だったから神になった
大神神社には本殿がありません。
大神神社自身も、三輪山をご神体とし、本殿を設けず、拝殿から三輪山を拝む形を「原初の神まつりの姿」と説明しています。
桜井市も、三輪山全体を神体山とする古代信仰が伝えられていること、三輪山周辺から祭祀に使われたとみられる須恵器、勾玉、臼玉、小形銅鏡などが出土していることを紹介しています。
ここまでは、現在確認できる遺跡や神社側、市側の説明です。
では、なぜ三輪山だったのでしょう。
私はここを、最初から「神さまが住んでいた特別な山」と考える必要はないと思っています。
三輪山は奈良盆地の東側にあります。
遠くからでも見えます。
山から水が流れます。
森があります。
木があります。
食料になる植物や動物もいます。
山の位置を覚えていれば、自分がどちらへ進んでいるのかを判断する目印にもなります。
人がその周辺で何世代も暮らしていれば、
「あの山から水が来る」
「あの山を見れば帰る方向が分かる」
「あの森を荒らしてはいけない」
という感覚が生まれても不思議ではありません。
そして、山を大切にする習慣が何世代も続けば、それは単なる生活上のルールではなくなります。
祖父母も大切にした。
その前の世代も大切にした。
そこで祭りをした。
そこで感謝した。
そうした記憶が積み重なれば、山そのものが特別な存在になっていく。
私は、自然崇拝というものも、最初から難しい宗教思想として始まったのではなく、こんな生活感覚から始まった可能性があると思っています。
水をくれる。
方向を教えてくれる。
木や食料を与えてくれる。
でも怒れば、洪水や崩落も起こる。
人間だけではどうにもならない大きな自然と一緒に暮らす中で、
「この山を大切にしよう」
という感覚が生まれた。
その気持ちが何百年、何千年と続く中で、山そのものを神として拝む形へ変わっていったのではないでしょうか。
三輪山は「神さまがいたから大切な山になった」のではなく、人々の暮らしにとって本当に大切な山だったからこそ、やがて神として残ったのではないでしょうか。