東大阪の研究開発現場から生産現場までの「ものづくり」なら【株式会社アリス】試作サンプル、切削加工、精密部品加工、可視化部品製作、透明化処理、現物からの製作、単品OK

  • トップ
  • ニュース
  • 葛城は「豪族の土地」ではなく、技術者たちが集まる地域だった

葛城は「豪族の土地」ではなく、技術者たちが集まる地域だった

2013.06.15

葛城という名前は、古代史では有力な氏族や豪族と結びつけて語られることが多い地域です。

でも、土地に残っているものを一つずつ見ていくと、別の姿も見えてきます。

葛城市は、葛城山東麓に5世紀後半から7世紀初めにかけて造られた寺口忍海古墳群があり、
総数200基以上の古墳が存在したと推定しています。

さらに、その一部から鍛冶道具が副葬品として見つかっており、鉄器生産に関わった人々の
墓ではないか、また渡来人も多く含まれていたのではないかという見解を示しています。

ここが面白いところです。

もし鉄を扱う技術者たちが実際にこの地域で暮らしていたのなら、必要なのは鍛冶職人だけ
ではありません。

鉄の材料を運ぶ人。

燃料となる木を集める人。

炉を作る人。

道具を使う人。

完成した製品を別の地域へ運ぶ人。

食料を作って彼らの生活を支える人。

一つの技術の周りには、必ず多くの仕事が生まれます。

また葛城市には、5世紀中頃と推定される屋敷山古墳があります。

その石室には、現在の兵庫県高砂市で産出する竜山石が使われています。

葛城の山の近くにある古墳へ、遠く離れた播磨の石が運ばれている。

それだけでも、この地域が周囲から孤立していたとは考えにくくなります。

人が移動し、石が移動し、技術も移動していた。

さらに山を越えれば河内側へつながります。

奈良盆地の中だけを見るのではなく、河内、大阪湾、さらにその先まで人の流れを
広げて考える必要があるのではないでしょうか。

「葛城氏という有力豪族がいた」

それだけでこの地域を見ると、中心にいるのは一族の名前です。

しかし、古墳、鍛冶道具、外部から運ばれた石、山越えの道を重ねてみると、
違う景色が見えてきます。

葛城は、一人の王や一つの氏族だけで動いていた土地ではなく、さまざまな技術を
持ったエンジニアが集まり、周辺地域と行き来しながら仕事をしていた大きな技術
拠点の一つだったのではないでしょうか。

                 一覧へ戻る
アリスの仕事に対する想いを見る オリジナルサンプル制作