山や森を残したのは、自然を恐れたからではなく、暮らしに必要だったからではないか
古い神社へ行くと、大きな森が残っていることがあります。
巨大な木があり、岩があり、少しひんやりした空気があります。
そういう場所を見ると、昔の人は自然を恐れて森を神聖な場所にしたようにも見えます。
でも私は、それだけではなかったと思っています。
森は暮らしに必要です。
家を建てる木材になります。
薪になります。
木の実や山菜が取れます。
道具の材料にもなります。
雨が降れば、水を蓄えて少しずつ下へ流してくれます。
逆に、木を全部切ってしまえば、土が流れやすくなります。
山が崩れることもあります。
川へ一気に水が流れれば、洪水の原因にもなります。
古代の人たちは、今のような科学用語を知らなくても、経験からそういうことを知っていたのではないでしょうか。
「あの山は切りすぎると水が出る」
「あの森は残しておいた方がいい」
「あの泉の周りは荒らさない方がいい」
何世代も同じ土地で暮らせば、自然とそういう知恵が蓄積されます。
そして、勝手に木を切られないようにするために、
「ここは大切な場所だ」
「ここには神さまがいる」
と考えるようになった可能性もあります。
もしそうなら、信仰は自然を守る仕組みにもなります。
難しい法律や看板がなくても、地域のみんなが大切にする場所なら簡単には壊されません。
御神木も同じです。
長く残っている大木は、木そのものが珍しいだけではなく、
「この木を切らずに何世代も残してきた」
という地域の記憶でもあります。
昔の人が自然を大切にしたのは、きれいだからだけではありません。
自分たちの生活が自然とつながっていることを、毎日の経験で知っていたからではないでしょうか。
山を守ることは、水を守ること。
森を守ることは、暮らしを守ること。
その感覚が、やがて神聖な山や鎮守の森という形になって残ったのではないでしょうか。