古代の道は誰かが作ったのではなく、人が歩いたところにできたのではないか
古代の道を考える時、今の道路を頭に浮かべると少し分かりにくくなります。
当然ですが、舗装道路も道路標識もありません。
地図も今のようなものはありません。
では、人はどうやって別の土地へ移動していたのでしょう。
私は、最初から「ここを道にしよう」と計画して道ができたのではなく、人が何度も通るうちに道になっていった場所が多かったのではないかと思っています。
山を越えるなら、一番低いところを探す。
川なら渡りやすい浅瀬を探す。
荷物を持っているなら、急な斜面は避ける。
途中で水を飲める場所も必要です。
雨が降れば、ぬかるみにくい場所の方がいい。
人間が歩きやすい場所は、いつの時代でもそれほど変わりません。
一人が通る。
また誰かが通る。
荷物を運ぶ人が通る。
何十年、何百年と繰り返せば、そこには自然と人の道ができます。
そして人が通る場所には、人も集まります。
休める場所ができる。
水を飲む場所ができる。
物を交換する場所ができる。
そのうち近くに住む人も現れる。
私は、古い神社や集落が交通の要所に多いのも、こういう流れと無関係ではないと思っています。
最初に神社があったから人が来たのではなく、もともと人が通る重要な場所だったから、後に神聖な場所になった可能性もあります。
大きな岩や特徴的な山、巨大な木なども道を歩く人には便利な目印です。
「大きな岩のところで待とう」
「山が正面に見えたら右へ行こう」
そんな使い方を何世代も続けていれば、その場所に物語や伝承が残っても不思議ではありません。
古代の物流も同じです。
須恵器、鉄器、木材、食料などを運ぶには道が必要です。
重いものなら川や海を使ったでしょう。
だから古代の人の移動を見る時には、山だけでも、川だけでもなく、道と水運を一緒に見る必要があります。
歴史の地図に残っているのは国境や地名ですが、本当に人々をつないでいたのは、その間を毎日歩いた名もない道だったのかもしれません。