饒速日さまたちは、何をしにこの土地へやって来たのだろう。
私は、単純な征服者ではなかったのではないかと思っています。
大阪の石切劔箭神社には、饒速日さまが多くの職工の神々を率いて河内へ入り、この地方の開発に尽力したという伝承が残っています。
その子孫とされる物部氏も、後には鉄器の製造など、当時としては最先端の技術を担う一族になっていきます。
そう考えると、私は饒速日さまたちを「古代のエンジニア集団」のように感じます。
金属を扱う。
道具をつくる。
土地を開く。
農業を助ける。
必要なものをつくり、人の暮らしを少しずつ良くしていく。
どれだけ立派な肩書きを持っていたとしても、知らない土地へ突然やって来た人間が、すぐに受け入れられるとは思えません。
それでも技術は、言葉より先に人の役に立ちます。
昨日までできなかったことができるようになる。
大変だった仕事が楽になる。
暮らしが安定する。
そんなことを一つずつ積み重ねていけば、
「よそから来た人」
だったはずの人たちが、
「この土地に必要な人」
へ変わっていったとしても不思議ではありません。
やがて現地の人と結婚し、子どもが生まれ、仲間が増えていく。
最初は移住先だった土地が、いつしか自分たちの暮らす場所になり、子どもたちが生きていく故郷になる。
そして、その土地を守ろうとする。
もし本当にそんな歴史だったのなら、私は饒速日さまたちの一番大きな功績は、戦って土地を奪ったことではなく、持っていた技術や知識を人のために使い、その土地に必要とされる存在になったことではないかと思います。
何千年たっても、ものづくりの根っこは案外変わりません。
すごい技術を持っていることより、その技術を何に使ったのか。
誰かの役に立ったのか。
そこに、技術者の価値がある。
遠い昔、この大阪でそんな仕事をしていた人たちがいたのだとしたら、同じものづくりに関わる者として、私は少し誇らしく思います。