敗れた一族を守るため、弓を取った女性。板額御前の知られざる人生【6】
「この女性を妻に迎えたい」
浅利与一義遠(あさりよいちよしとお)。
甲斐源氏の一族であり、鎌倉幕府に仕えた武将である。
以前、私たちは那須与一の人生を調べた。
屋島の戦いで扇の的を射抜いたと伝えられる、あの弓の名手である。
浅利義遠もまた、弓の名手として知られた人物だった。
源平合戦では源氏方として戦い、壇ノ浦の戦いや奥州合戦にも参加したと伝えられている。
つまり、板額御前と浅利義遠には、弓という共通する技術があった。
ただし、二人がそれ以前から互いの存在を知っていたかどうかは分からない。
板額は越後の城氏。
義遠は甲斐源氏。
立場も、歩んできた人生も異なっていた。
しかも、今回の戦いでは敵対する側に属している。
その義遠が、将軍頼家に願い出た。
板額御前を、自分の妻に迎えたいというのである。
なぜだろう。
『吾妻鏡』には、義遠が板額のように優れた女性との間に強い子どもをもうけ、朝廷や武家に尽くさせたいと述べたという話が残っている。
頼家はその申し出を認めた。
こうして板額は、浅利義遠とともに甲斐国へ向かったと伝えられている。
ここには、いくつもの興味深い問題がある。
まず、敵として戦った女性が、幕府の有力御家人の妻になったということである。
一族の反乱に参加し、幕府軍の兵士たちを討った女性が、今度は幕府側の武将と生活をともにする。
立場が大きく変わっている。
もう一つ気になるのは、義遠が板額の武芸を評価したということである。
当時の武士にとって、子孫に家を継がせることは重要だった。
強い子どもをもうけたいという言葉には、武士の家を維持するという考え方も重なっていたのだろう。
しかし、そこで板額自身の意思は、どのように扱われたのだろう。
彼女が義遠との婚姻を望んでいたのかどうかは、記録からは分からない。
自分を助けようとする人間が現れたことを、ありがたいと感じたのかもしれない。
一方で、敵方の武将の妻になるという現実を、簡単には受け入れられなかった可能性もある。
私たちは、この出来事を現代の恋愛物語のように描いてしまわないようにしたい。
当時の婚姻には、個人の感情だけでなく、家や一族、政治的な関係が深く関わっていた。
それでも、一つだけ確かなことがある。
鳥坂城で捕らえられた板額の人生は、この申し出によって大きく変わったということである。
二人は、何を考えていたのだろう
ここで、少し浅利義遠の立場から考えてみたい。
義遠は、板額と同じように弓に優れた武将だった。
戦いの経験も豊富だった。
そのような人物であれば、優れた弓の技術を持つことが、どれほど難しいかを知っていたのではないだろうか。
他の人々が板額を反逆者として見ていたとしても、義遠には違うものが見えていた可能性がある。
この女性は、並外れた技術を持っている。
その技術を身につけるまでに、どれほどの時間を重ねてきたのだろう。
そのような関心を持ったとしても、不思議ではない。
もちろん、義遠が本当にそう考えたという記録はない。
しかし、二人がともに弓の技術を持っていたことは、関係を考えるうえで見逃せない。
また、中央市豊富郷土資料館による浅利氏の研究紹介では、義遠の家系と城氏に関係があった可能性も検討されている。
もし両者の一族に以前からのつながりがあったとすれば、義遠の行動を、単なる武芸への関心だけで説明することはできなくなる。
一族同士の関係を背景に、板額の命を救おうとした可能性も考えられる。
しかし、どの理由が決定的だったのかは分からない。
人間の判断には、複数の理由が重なっていることがある。
義遠が板額を妻に迎えた理由も、一つではなかったのかもしれない。
そして、板額にも彼女自身の事情があったはずである。
故郷の一族は敗れ、以前の生活に戻ることは難しくなっている。
そのような状況で、甲斐へ向かうという選択は、何を意味していたのだろう。
新しい人生の始まりだったのだろうか。
それとも、生き延びるために受け入れなければならなかった現実だったのだろうか。
残された記録だけでは、彼女の気持ちを知ることはできない。
ただ、私たちは板額を、強い弓を持つ女武者という一つの姿だけで考えたくない。
戦場での役割を失った後にも、彼女には生きていく日々があったはずなのである。