飛鳥はなぜあの地形に発展したのか
飛鳥はなぜあの地形に発展したのか
飛鳥というと、古代の都を思い浮かべます。
宮殿。
寺。
政治。
天皇。
でも私は、まず地図を見たくなります。
なぜ、あの場所だったのでしょう。
飛鳥は奈良盆地の南東部にあります。
平らな大平原の中央ではありません。
周囲には丘陵や山があります。
川があります。
谷があります。
一見すると、大都市を作るには少し狭く見える場所です。
それでも、そこに宮殿や寺院、工房が集まりました。
明日香村が紹介する飛鳥池工房遺跡では、金・銀・銅・鉄の加工、ガラスや玉作り、漆、瓦など、さまざまなものづくりが行われていました。
富本銭の鋳造も確認され、村では「古代の総合工房」として紹介しています。
飛鳥水落遺跡では、水を導く木樋や銅管などが確認され、水時計の施設と考えられています。
つまり飛鳥には、
人。
技術。
水。
材料。
それらを管理する仕組み。
かなり多くのものが集まっていました。
ではなぜ、そこに集めることができたのでしょう。
地形を見ると、山に囲まれていることは不便だけではありません。
水が集まります。
木材があります。
石があります。
谷を使えば道になります。
山を越えれば別の地域へつながります。
大和川水系を通じて奈良盆地の他地域ともつながります。
さらに、奈良盆地南部には横大路などの東西交通路があり、河内側や東方へ移動する道もありました。
つまり飛鳥は、狭い場所に閉じ込められていたのではなく、
いくつもの谷や道を通じて外とつながる場所だった可能性があります。
また、山に囲まれた地形は、防御という面でも有利だったかもしれません。
外から見えにくい。
入口が限られる。
水を確保しやすい。
必要な資源も比較的近い。
そういう条件が重なっていたのではないでしょうか。
もちろん、
「この理由で飛鳥に都ができた」
と一つに決めることはできません。
政治的な理由もあります。
信仰もあります。
人間関係もあります。
でも地形を無視することもできません。
私は、
飛鳥に都が置かれたから人や技術が集まった、
という一方向だけではなく、
もともと人が暮らしやすく、資源があり、周辺地域とつながりやすい場所だったからこそ、そこへさらに政治や技術が集中していった可能性も考えたいと思います。
都は、何もない場所に突然作られるものではありません。
人が暮らせる。
水がある。
道がある。
資源がある。
仕事ができる。
その土台の上に政治が乗る。
飛鳥があの場所に発展したのは、王が場所を選んだからだけではなく、
地形そのものが人の暮らしとものづくりに向いていたからではないでしょうか。