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静御前のもう一つの顔 ― 母・磯禅師と白拍子の謎

2012.10.08

源義経を愛し、鎌倉の鶴岡八幡宮で義経を慕う歌を舞った静御前。

悲劇の女性として語られることが多い静御前ですが、その生い立ちを調べていくと、少し違った姿が見えてきます。

実は静御前の母親も、歴史に名を残す女性でした。

名前は磯禅師(いそのぜんじ)。

白拍子という芸能の成立に深く関わったと伝えられる人物です。

鎌倉時代末期に成立した『徒然草』の第二百二十五段には、興味深い記述があります。

藤原通憲、後に信西と呼ばれた人物が、さまざまな舞の中から優れたものを選び、磯禅師に教えて舞わせたというのです。

その姿は白い水干をまとい、腰には短刀を差し、頭には烏帽子。

なんと、男性の姿をした女性でした。

これを「男舞」と呼び、その芸を娘の静が受け継いだと記されています。

ここで気になるのが、なぜ女性が男性の姿で舞ったのかということです。

当時の衣装を考えると、単なる流行だったとは思えません。

さらに『徒然草』には、白拍子が仏や神の由来を歌っていたことも記されています。

つまり白拍子は、現在の舞踊や芸能という枠だけでは説明できない、宗教的な要素を持っていた可能性があります。

そこで思い出すのが、京都の神泉苑に残る静御前の伝説です。

日照りが続いた都で、後白河法皇が百人の白拍子に雨乞いの舞を命じました。

九十九人が舞っても雨は降らず、最後に静御前が舞うと黒雲が現れ、三日間も雨が降り続いたという話です。

『義経記』に伝わる物語ですが、なぜ雨乞いの儀式に白拍子が選ばれたのでしょう。

そして、なぜ静御前の舞には特別な力があると考えられたのでしょうか。

もう一つ興味深いのは、白拍子の成立に関わった人物が信西だったという点です。

信西は平安時代末期の朝廷政治に深く関与した人物です。

その信西が舞を選び、磯禅師に教えたという伝承が事実を反映しているなら、白拍子の成立には宮廷文化や政治との関係も考えられます。

母から娘へ受け継がれた舞。

神仏の由来を歌う芸能。

雨を呼ぶと伝えられた女性。

そして、朝廷と深く結びついていた白拍子の世界。

静御前は、ただ義経を愛した女性だったのでしょうか。

もしかすると、平安時代から受け継がれた祭祀と芸能の世界を知る、特別な存在だったのかもしれません。

静御前の歴史を追いかけるなら、義経との恋物語だけでなく、その母・磯禅師が生きた時代まで遡る必要がありそうです。

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