静御前が選んだ二つの和歌 ― 千年を超えて受け継がれる言葉の力
源義経との悲しい別れで知られる静御前。
鎌倉の鶴岡八幡宮で披露した二首の和歌は、現在も多くの人々に知られています。
ところが、この二首を調べていくと、意外な事実が見えてきます。
実は、どちらも静御前がまったく新しく考えた言葉ではなかったのです。
まず有名な「しづやしづ」の歌。
この歌には『伊勢物語』第三十二段に登場する、よく似た古歌があります。
「いにしへのしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」
静御前の歌と比べると、ほとんど同じです。
しかし、最初の部分が違います。
古歌の「いにしへの」を、静御前は「しづやしづ」に変えたと伝えられています。
そのわずかな違いによって、自分の名前である「静」と、義経が自分を呼んだ声を重ねることができました。
もともとは、過去の恋愛を懐かしむ歌。
それが静御前の人生と重なることで、まったく違った意味を持つようになったのです。
さらに興味深いのが、もう一首の「吉野山」の歌です。
『古今和歌集』には、壬生忠岑の歌として次の一首が収められています。
「み吉野の山の白雪踏み分けて入りにし人のおとづれもせぬ」
吉野山の雪を踏み分けて入っていった人から、何の便りもない。
そんな思いを詠んだ歌です。
一方、静御前が歌ったとされるのは、
「吉野山峰の白雪踏み分けて入りにし人の跡ぞ恋しき」
という一首。
驚くほど似ています。
しかし、静御前にとって吉野山は、実際に義経と別れた場所でした。
古い和歌の中に登場する吉野山が、彼女自身の記憶と結びついたのです。
ここで私は、静御前がどのような女性だったのか、改めて考えさせられます。
静御前は単に舞が上手な女性だったのでしょうか。
二つの古歌を知り、その意味を理解し、自分の境遇に合わせて表現できるだけの教養を持っていたのではないでしょうか。
当時の和歌には、古い歌の言葉や趣向を踏まえ、新しい意味を重ねる表現文化がありました。
静御前の歌も、そのような文化の中で考えることができます。
しかも、彼女が舞ったのは源頼朝の目の前です。
義経を追討する立場の頼朝に対し、静御前は義経への思いを歌いました。
その場にいた人々が古歌を知っていれば、言葉の変化に込められた意味も理解できたかもしれません。
これは単に悲しい恋の歌を披露したというだけではないように思えます。
自分の気持ちを、古くから伝わる和歌に託して表現した。
そこには白拍子としての技量だけでなく、言葉を扱う知性も感じられます。
そして、もう一つ気になることがあります。
この二首を、実際に静御前自身が選んだのでしょうか。
それとも、後世に物語を伝えた人々が、静御前の心情にふさわしい歌として結びつけたのでしょうか。
『吾妻鏡』は事件から年月を経て編纂された歴史書です。
そのため、歌が選ばれた経緯まで確定することはできません。
しかし、どちらの場合でも興味深いことがあります。
平安時代の和歌が、静御前という女性の人生と結びつき、鎌倉時代を経て、現代まで受け継がれてきたことです。
人の命には限りがあります。
しかし、人が残した言葉は、時代を超えて別の人の思いを伝えることがある。
静御前が歌ったとされる二首には、日本の和歌文化が持つ、そんな不思議な力が隠されているのかもしれません。