鈴鹿には、本当に「境界」があった
現在の県境を見ると、
鈴鹿峠は滋賀県と三重県の境にあります。
でも昔の人にとって大切だったのは、
行政上の一本の線ではありません。
山を越えられるかどうか。
その先へ無事に行けるかどうか。
でした。
斎王が都から伊勢へ向かう道にも、近江から伊勢へ抜ける交通路が使われています。
斎宮歴史博物館によれば、斎王一行は勢多、甲賀、垂水、鈴鹿などの頓宮に宿泊しながら伊勢へ向かいました。
その人数は官人や官女を含め、500人を超えたとされています。
500人。
現在なら大型バス十数台です。
そんな大人数が、
徒歩や馬で山を越える。
食料が要る。
水が要る。
休む場所が要る。
安全な道が要る。
雨が降れば行程は乱れます。
川が増水すれば渡れません。
病人も出たでしょう。
現在の私たちは、
「京都から伊勢へ行った」
と一行で書いてしまいます。
でも当時の人にとって、
その途中にはいくつもの危険がありました。
だから頓宮が設けられました。
だから神に祈りました。
だから峠には物語が残りました。
さらに興味深いことがあります。
斎宮歴史博物館は、鈴鹿頓宮だけでなく、甲賀や垂水などについても、後世まで地名や伝承地が残っていることを紹介しています。
中には現在も「頓宮」という地名が残る場所さえあります。
ここに「土地を見る」意味があります。
文献だけなら、
斎王がここを通った。
それで終わります。
でも現地へ行くと、
山がある。
川がある。
地名がある。
石碑がある。
神社がある。
その全部を重ねると、
何百人もの一行がゆっくり山へ入っていく姿まで想像できる。
そして同じ場所に、
鬼の話も残っています。
偶然でしょうか。
それとも、
「境界への恐怖」という同じ根から、
祈りと鬼の両方が生まれたのでしょうか。
答えはまだありません。
でも土地は、
考える材料をまだ残してくれています。