葛城・南郷遺跡群|山麓に現れた古代の巨大拠点
奈良県御所市。
金剛山と葛城山の東側を歩いていると、一見すると静かな山麓の風景が続きます。
ところが、この地面の下から出てきたものを並べてみると、まったく違う景色が見えてきます。
大型の建物。
濠。
祭祀に使われたと考えられる導水施設。
鉄製品を作った跡。
ガラス製品を作った跡。
機織りの道具。
農具。
さらに、朝鮮半島との関係を感じさせる遺構や遺物。
これが南郷遺跡群です。
御所市は、南郷遺跡を5世紀を中心とする集落遺跡で、渡来系の要素を多く持ち、葛城氏の支配拠点だったと考えられていると説明しています。
しかし「葛城氏の拠点」と言ってしまうと、そこで話が終わってしまいます。
少しだけ現場へ入ってみます。
南郷遺跡群の一角に、極楽寺ヒビキ遺跡があります。
そこでは幅約13メートルの濠に囲まれた区画が見つかっています。
その内側には、大型の掘立柱建物。
さらに塀。
外から中が簡単には見えない造りです。
何をしていた場所なのでしょう。
政務。
祭祀。
人との面会。
物資の管理。
今のところ一つに決めることはできません。
だからこそ面白い。
しかも、その周辺には人々が暮らす集落があり、ものを作る場所があり、祭祀をする場所があります。
一つの巨大な屋敷がぽつんと存在したのではありません。
周りに多くの仕事があったのです。
鉄を加工する人。
ガラスを扱う人。
農業をする人。
布を織る人。
水を扱う人。
外から来た人もいたでしょう。
葛城氏という一つの名前の下に、まったく違う仕事を持った人々が集まっていた。
そう考えると、この場所は豪族の「本拠地」というより、一つの都市のようにも見えてきます。
そして山の向こうには河内があります。
東へ進めば大和盆地です。
山麓には南北へ続く道があります。
なぜ、ここにこれほど多くのものが集まったのでしょう。
答えはまだ一つではありません。
けれど、南郷遺跡群を見ていると、古代の力とは単に兵士の数や土地の広さではなかったように思えてきます。
人を集めること。
技術を集めること。
外から来た文化を受け入れること。
そして、それぞれをつなぐこと。
葛城という土地には、5世紀の日本を動かしていた人々の仕事が、今も地面の下に残っているのではないでしょうか。