神社が「売る場所」になった時、何を失うのか
2014.09.12
神社を維持するにはお金が必要です。
社殿を修理する。
森を守る。
境内を掃除する。
祭りを続ける。
人も働いています。
だからお守りを買うことも、御朱印をいただくことも、お賽銭を入れることも、私は何もおかしいと思いません。
むしろ残してほしいから、お金を使う。
ただ、時々違和感を覚える場所があります。
神社そのものより、商品が前に出る。
祈りよりイベントが前に出る。
地域とのつながりより観光が前に出る。
そして、その場所を守る立場の人が、訪れる人より上にいるかのような態度になる。
その時、少しだけ原点から遠くなっているように感じます。
もし神社の始まりが、人々が自然と祖先に感謝し、集まり、食べ、笑い、つながる場所だったのなら、本来そこに「お上と下々」の関係はなかったはずです。
祀る人と、祈る人。
役割は違っても、同じ地域で生きる人間です。
お金を取ることが問題なのではありません。
何のためにその場所があるのかを忘れてしまうこと。
そこが問題なのだと思います。
今でも小さな神社や鎮守の森を、ほとんど利益にもならないのに守っている人たちは大勢います。
だから神社全体を批判したいわけではありません。
むしろ逆です。
そういう人たちが守ってきた場所だからこそ、原点を大切にしてほしい。
神社は商品を買う場所になる前に、人と人がつながる場所だった。
そこだけは忘れたくないと思います。
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