箸墓古墳と倭迹迹日百襲姫の謎|三輪山の神に愛された女性は、なぜ巨大な墓に眠るのか
奈良県桜井市。三輪山を望む大和の平野に、巨大な前方後円墳が横たわっています。
箸墓古墳(はしはかこふん)。
全長約290メートル。日本列島に巨大な前方後円墳が姿を現し始めた時代を代表する古墳です。
この墓には、古代の大和をめぐる二つの大きな謎が重なっています。
一つは、『日本書紀』に記された不思議な女性の物語。
もう一つは、この巨大な墓が築かれた時代と、邪馬台国の女王・卑弥呼との関係です。
三輪山の神を祀るため、大田田根子という人物を探し出した崇神天皇。その時代の物語には、もう一人、神と深く関わる女性が登場します。
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)。
彼女はいったい何者だったのでしょうか。
神の言葉を伝えた女性
『日本書紀』によれば、崇神天皇の時代、国には疫病が広がり、多くの人々が命を落としました。
人々の不安が高まる中、倭迹迹日百襲姫命に大物主神が神がかりし、神の言葉を伝えたと記されています。
大物主神とは、三輪山に鎮まるとされる神です。
前回の歴史探訪で取り上げた大田田根子も、この神を祀るために探し出された人物でした。
つまり、倭迹迹日百襲姫命もまた、王の支配する国と三輪山の神を結びつける重要な役割を担っていたことになります。
古代社会において、神の意思を知ることは、国の行く末を判断することにもつながっていました。
彼女の存在は、単なる神話の登場人物として片づけるには、あまりにも興味深いものです。
夜にだけ訪れる夫の正体
『日本書紀』には、さらに不思議な物語が残されています。
倭迹迹日百襲姫命は、大物主神の妻となりました。
しかし、夫である神が彼女のもとを訪れるのは夜だけでした。
昼間には姿を見せません。
彼女は夫に、明るいところでその姿を見たいと願います。
大物主神は、小さな櫛箱の中に入っているので、翌朝、その箱を開けて見るように告げました。ただし、姿を見ても驚かないようにと念を押します。
翌朝、彼女が箱を開けると、そこには美しい小さな蛇がいました。
驚いた彼女は思わず声を上げます。
大物主神はその反応を恥じ、人の姿となって三輪山へ去ってしまいました。
そして、悲しみに暮れた倭迹迹日百襲姫命は、不慮の事故によって命を落としたと伝えられています。
これが、箸墓という名前の由来につながる伝承です。
現代の私たちには奇妙に映る物語です。
けれども、この伝承には、神の正体を見ようとする人間と、姿を明かしたことで離れていく神という、深いテーマが潜んでいるようにも感じられます。
昼は人が造り、夜は神が造った墓
倭迹迹日百襲姫命の死後、彼女のために墓が築かれたと『日本書紀』は伝えています。
その墓が箸墓です。
興味深いのは、その築造についての記述です。
昼は人が造り、夜は神が造った。
もちろん、これは史実として確認された工事記録ではありません。
しかし、なぜ人々は、このような伝承を残したのでしょうか。
巨大な墓を築くには、土地を整え、土を運び、石を集め、多くの人々を動かす必要があります。
機械もトラックも存在しない時代。
人間の力だけでこれほど大きな構造物を築いたこと自体、後の人々には神の力を借りた仕事のように感じられたのかもしれません。
そして、もう一つ気になることがあります。
それほど大きな墓を築く必要があった人物とは、いったいどれほど重要な存在だったのでしょうか。
卑弥呼の墓ではないかという説
箸墓古墳が大きな注目を集める理由の一つに、築造年代があります。
考古学的には、3世紀中頃から後半に築かれたと考えられています。
この年代は、中国の歴史書『魏志』倭人伝に登場する女王・卑弥呼が生きた時代と重なります。
卑弥呼は、鬼道と呼ばれる宗教的な力によって人々をまとめたと記されています。
一方、『日本書紀』の倭迹迹日百襲姫命も、神の言葉を伝える女性として登場します。
宗教的な権威を持つ女性。
古代の大和との関わり。
そして、巨大な墓。
こうした共通点から、箸墓古墳を卑弥呼の墓と考える説があります。
ただし、箸墓古墳の被葬者が卑弥呼だったと証明されたわけではありません。
倭迹迹日百襲姫命と卑弥呼を同一人物とする考え方についても、確かな結論は出ていません。
『日本書紀』の伝承と、考古学によって明らかになった年代を、そのまま一つの歴史として結びつけることはできないのです。
それでも、同じ時代の大和に、強い宗教的権威を持つ女性が存在した可能性を考えると、歴史の想像は大きく広がります。
なぜ、この場所だったのか
箸墓古墳は、三輪山の麓に広がる纒向遺跡の中に位置しています。
纒向遺跡は、古代の大和政権の成立を考えるうえで重要な遺跡です。
各地との交流をうかがわせる土器や大規模な建物跡などが確認され、当時の政治や社会の姿を知るための調査が続けられています。
その一角に、日本列島でも最古級とされる巨大な前方後円墳が築かれました。
東には三輪山。
その山に鎮まる大物主神。
神の言葉を伝えたとされる女性。
そして、その女性の墓と伝えられる巨大な墳丘。
これらの関係を考えると、箸墓古墳がこの場所に築かれたことにも、何らかの意味があったのではないかと思えてきます。
ただし、三輪山への信仰と箸墓古墳の築造目的が直接結びついていたかどうかは、まだ分かっていません。
伝承が語る世界と、地中から姿を現す考古学の世界。
二つを重ねながらも、分けて考えることが大切なのでしょう。
神話が終わるところから、歴史が始まる
前回、私たちは大田田根子という人物を通じて、古い神を祀ることの意味を考えました。
そして今回、倭迹迹日百襲姫命という女性を通じて、神の言葉と古代の権威の関係をたどりました。
一方は、神を祀るために選ばれた人物。
もう一方は、神の言葉を伝え、神の妻になったとされる女性。
二人の物語は、ともに三輪山の大物主神へとつながっています。
古代の王たちは、武力や政治だけで人々をまとめていたのでしょうか。
それとも、人々が信じる神々との関係を築くことも、国を治めるために欠かせない役割だったのでしょうか。
箸墓古墳は、その問いに簡単な答えを与えてはくれません。
しかし、三輪山を背にして今も残る巨大な墳丘は、そこに特別な存在が葬られたことを、静かに物語っています。
神話の中に描かれた女性と、現実に築かれた巨大な墓。
その二つが交わる場所に、まだ明らかになっていない古代日本の姿が隠されているのかもしれません。
歴史の面白さは、すべての答えが分かることではなく、残された謎を通して、遠い時代の人々が何を考え、何を大切にしていたのかを想像できることにあるのでしょう。