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日本の歴史は、本当に大和から始まったのか

2015.09.09

――越・出雲・吉備、そして忘れられた人々の歴史

日本の古代史を学ぶと、神武天皇の東征、大和王権の成立、古墳時代の始まりという流れが登場します。

そのため、古代日本の中心は大和にあり、そこから各地へ文化や政治の仕組みが広がっていったような印象を受けます。

しかし、各地の遺跡や神社を訪ね、地形や古い伝承を調べていくと、一つの疑問が生まれます。

大和に大きな政治勢力が成立する以前、日本列島の人々はどのような社会を築いていたのでしょうか。

現在の都道府県も、国境も、鉄道も道路もなかった時代。

人々は海や川を移動し、山を越え、遠く離れた集落と交流していました。

山には木材や動物があり、海には魚介類があり、川沿いには生活に適した土地がありました。

地域ごとに手に入るものは違います。

石器に適した石、装飾品となる翡翠、土器づくりに使う粘土、農耕に適した土地。

人々は、それぞれの地域で得られるものを持ち寄り、必要なものを交換して暮らしていたのでしょう。

それは、現代の私たちが考える国家間の貿易というより、日常的な人々の交流だったのかもしれません。

大和より古くから存在した交流網

新潟県の糸魚川周辺では、縄文時代から翡翠の加工が行われていました。

この地域で産出する翡翠は、遠く北海道から沖縄に至る広い範囲の遺跡で確認されています。

驚くべきことです。

現代のような交通機関のない時代に、遠く離れた地域同士がつながっていたのです。

そこには、石を採る人、加工する人、運ぶ人、交換する人がいたはずです。

一度だけの偶然ではなく、交流を続けるための知識や技術、人間関係が必要だったでしょう。

そして、その交流を可能にした重要な交通路の一つが、日本海でした。

私たちは現在、山陰と北陸を遠く離れた地方として考えがちです。

しかし、船で海岸沿いの港を行き来する人々にとって、海は地域を隔てるものではありません。

海は、人と人を結ぶ道だったのです。

越・出雲・吉備という古代の勢力

北陸には越、山陰には出雲、現在の岡山県周辺には吉備と呼ばれる地域がありました。

それぞれの地域には、独自の技術や文化を持った集落が存在していました。

出雲と北陸には、四隅突出型墳丘墓という特徴的な墓の形式が見られます。

吉備では、弥生時代後期に巨大な楯築墳丘墓が築かれました。

これらの遺跡は、大和王権の成立以前から各地に有力な人々が存在し、独自の社会が発展していたことを物語っています。

さらに、出雲の墳墓からは吉備など他地域との交流を示す土器も見つかっています。

そうした関係は、単に物を売買するだけだったのでしょうか。

長く交流を続けていれば、婚姻によって親族が増え、互いの土地に暮らす人々が生まれ、困ったときに助け合う関係も育っていったと考えられます。

一つの巨大な国家がすべてを統治していなくても、広い地域が結びつくことはできたのです。

人々は、なぜ移動したのか

古代の人々が移動した理由も、交易だけではなかったでしょう。

自然環境の変化、食料を得るための移住、婚姻、そして争いを避けるための移動。

住み慣れた土地を離れることは、大きな決断だったはずです。

しかし、移動先に親族や古くからの交流相手がいれば、そこに新しい生活を築くことができます。

奈良県桜井市の纒向遺跡は、3世紀初頭に急速に発展した大規模な集落です。

そこからは、東海をはじめ、各地との交流を示す土器が見つかっています。

なぜ、この時期に大和へ人々や物資が集まったのでしょうか。

政治的な中心が生まれたから、人々が集まった。

その説明だけで十分なのでしょうか。

むしろ、各地から人々が移動し、技術や知識を持ち寄り、交流を重ねた結果として、新しい中心地が生まれたという順序も考えられます。

そこには、当時の地形や水環境、農耕に適した土地の広がりも関係していたかもしれません。

歴史書に書かれなかった人々

古代の歴史書には、王や皇族、戦いに勝った人物の名前が数多く登場します。

しかし、実際に土地を耕し、船を動かし、道具をつくり、集落を守っていたのは、名も残されていない多くの人々でした。

彼らにも家族があり、仲間があり、祖先から受け継いだ暮らしがありました。

政治的な支配者が変わっても、そのすべてが消えるわけではありません。

地名や神社、祭祀、地域に残る伝承、そして土の中から見つかる遺跡。

そこには、歴史書とは異なる形で受け継がれた記憶があります。

今回の歴史探訪では、大和だけを出発点にするのではなく、越・出雲・吉備・葛城、さらに諏訪や日高見と呼ばれた地域へも目を向けます。

各地に暮らしていた人々が、どのようにつながり、何を生み出し、なぜ移動していったのか。

その手がかりを、地形、交易、技術、伝承、考古学から一つずつ探していきます。

日本の歴史は、一人の王が国をつくったところから始まったのではありません。

そのはるか以前から、この列島には暮らしがあり、技術があり、人と人とのつながりがありました。

まずは、その人々の歴史から見つめ直してみたいと思います。

そして、今回の探訪で大きな鍵を握るのが、日本海に広がる古代の交流圏、越です。

私たちは、まだ越の本当の姿を十分に知りません。

そこから、もうひとつの日本古代史を探しに行きます。

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