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敗れた一族を守るため、弓を取った女性。板額御前の知られざる人生【5】

2015.03.06

敵の本拠地、鎌倉へ

1201年6月。

板額御前は鎌倉へ送られた。

鳥坂城で捕らえられたときの傷は、まだ十分に癒えていなかったという。

それでも、彼女は鎌倉の人々の前に姿を現した。

当時の鎌倉は、源頼朝が築いた武士政権の中心地だった。

頼朝は1199年に亡くなっており、このとき将軍の座にあったのは息子の源頼家である。

頼家はまだ若かった。

幕府の内部では、北条氏をはじめとする有力御家人たちが、それぞれ政治的な影響力を持っていた。

その鎌倉へ、幕府に反旗を翻した一族の女性が連れてこられたのである。

板額は、単なる捕虜ではなかった。

鳥坂城で多くの幕府兵を苦しめた女性として、その名前はすでに知られていたと考えられる。

『吾妻鏡』には、彼女の姿を見ようとした人々や、将軍の前に引き出された際の様子が記されている。

板額は、周囲の人々に対して卑屈な態度を見せなかったとされる。

ここで私たちは、彼女の姿をもう一度考えてみたい。

戦場では弓を持っていた。

しかし、鎌倉では武器を持っていない。

自分が戦う相手を選ぶこともできない。

命をどう扱われるのかも、自分だけでは決められない。

そのような状況で、板額はどのように振る舞ったのだろう。

『吾妻鏡』が描く彼女は、捕虜になっても毅然とした態度を失わない女性だった。

ただし、心の中まで平静だったかどうかは分からない。

恐怖がなかったとは言い切れない。

故郷の人々を心配していたかもしれない。

一族の今後を考えていたかもしれない。

人間は、恐怖を感じないから強いとは限らない。

不安を抱えながらも、目の前の状況に向き合うことがある。

板額の姿に周囲の人々が注目したのは、そのような態度だったのかもしれない。

そして、ここで思いがけない人物が登場する。

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