「帰順」という言葉の裏で、何が起きていたのか
2014.05.02
古代の記録には「帰順」という言葉が出てきます。
中央に従うようになった。
国家側の制度に入った。
記録の上では、それで一行です。
でも、本当にそれだけだったのでしょうか。
地域の有力者を一人ずつ味方へ取り込むことは、軍事的にも非常に有効です。
すべての集落を攻める必要がなくなる。
現地の事情を知る人間を使える。
周囲の集団に圧力をかけることもできる。
支配する側から見れば、武力だけでなく、分断や懐柔を使う方が効率的です。
一方、地域の有力者には選択を迫られます。
抵抗を続ければ、自分の集落が攻撃されるかもしれない。
従えば、立場を残せる可能性がある。
こうした判断があったとしても、それを単純に「裏切り者だった」で終わらせる
必要はありません。
しかし同時に、「みんなそれぞれ事情があった」で均してしまうのも違います。
選択を迫る力を持っていたのは誰だったのか。
軍を動かし、城柵を築き、制度を広げていたのはどちらだったのか。
そこを見失ってはいけません。
「帰順」という穏やかな言葉の裏には、従わなければ戦う。
従えば制度の中へ入れる。
という力関係が存在していた可能性があります。
言葉だけを読むと静かです。
でも、その言葉が生まれた背景には、もっと強い圧力があったのではないでしょうか。
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