同じ印旛沼を見ていても、人々は同じ世界に住んでいたのか
2014.04.15
湖のこちら側と向こう側。
現代なら車で簡単に回れます。
でも昔は違います。
川が一本あるだけで、人の生活圏は変わります。
湿地が広がれば、歩いて横切れません。
船がなければ行けない場所もある。
逆に、陸では遠くても水路なら近い場所があります。
だから現在の距離感で古代を見ると、間違えることがあります。
印旛沼周辺も同じです。
同じ沼を見て暮らしていても、使う川が違えば交流する集落も違ったでしょう。
舟を出す場所が違えば、交易先も変わる。
台地の上と低湿地でも生活は違います。
そこに麻賀多、鳥見、宗像という神社群の分布を重ねる。
すると神社の違いは、単なる宗派の違いではなく、生活圏の違いを薄く映している可能性があります。
そしてその生活圏同士を、印旛沼という大きな水がつないでいた。
別々でありながら、つながっている。
私は古代の地域社会を考える時、この形がかなり重要だと思っています。
「一つの国」か「別の国」か。
二択ではない。
普段は別々に暮らしている。
交易ではつながる。
婚姻でもつながる。
祭りでも行き来する。
危機の時だけまとまることもある。
古代の連合というものは、そんな柔らかいものだった可能性があります。
だから日高見国も、巨大な中央政府を持つ一つの国家として想像するより、このような地域社会の連なりとして考えた方が見えるものが増えるのかもしれません。
印旛沼の小さな神社分布を見ているつもりが、気がつけば「古代の国とは何だったのか」というところまで話が広がってきます。
それが、このテーマの面白いところです。
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