古代の技術は誰のものだったのか|血縁ではなく人から人へ伝わった可能性
古代史を読んでいると、たくさんの「氏」が出てきます。
物部氏。
秦氏。
蘇我氏。
葛城氏。
どうしても、私たちは現代の家族と同じように考えてしまいます。
同じ氏なら、同じ血筋だった。
親から子へ続く一族だった。
本当に、それだけだったのでしょうか。
ここで、古代の技術を見てみます。
須恵器。
鉄器。
ガラス。
機織り。
馬の飼育。
寺院建築。
国立歴史民俗博物館は、朝鮮半島から日本列島への人の移動について、馬飼いの技術、新しい生活様式、須恵器の窯業技術、金属加工技術などが境界を越えて受け入れられていったと説明しています。
つまり、動いたのは人だけではありません。
技術も一緒に動いていました。
ここで少し考えてみます。
須恵器を作れる人が海を渡ってきた。
その人だけが一生作り続けたのでしょうか。
そんなはずはありません。
土地の人に教える。
一緒に窯を作る。
失敗する。
やり直す。
温度の上げ方を覚える。
土の性質を知る。
そして、その土地の人が次の人へ教える。
何世代か経てば、その技術を使っている人の多くは、最初に海を渡ってきた人の血縁ではないはずです。
技術は血ではなく、教えることで広がります。
これは今のものづくりでも同じです。
師匠から弟子へ。
先輩から後輩へ。
会社から協力会社へ。
人が変わっても、やり方は残ります。
では古代の「氏」とは、本当に血縁だけの集団だったのでしょうか。
物部の中には、さまざまな物を作る人がいた。
秦氏には、機織り、養蚕、治水、金工など多くの技術との関係が伝えられている。
一つの家族だけで、これほど多くの仕事を何世代も担えるのでしょうか。
もしかすると、氏という名前の下には、血縁だけではなく、仕事や技術によってつながった人々も含まれていたのではないでしょうか。
新しく加わる人。
技術を教わる人。
別の土地へ移る人。
そこでまた仲間を増やす人。
そうやって集団が広がったと考えると、古代社会の姿はかなり変わります。
一つの巨大な一族が日本中へ広がったのではない。
人が移動し、技術が渡り、その土地の人と混ざりながらネットワークが広がっていった。
その結果として、同じ名前を持つ集団が各地に生まれた。
そんな可能性も考えられます。
人の血は何世代もたてば薄れていきます。
でも、技術は教え続ければ残ります。
古代から現在まで本当に受け継がれてきたものは、系図よりも、人から人へ渡された「やり方」の方だったのかもしれません。