印旛沼は、昔から「沼」だったわけではない
現在の印旛沼へ行くと、広い水面の向こうに低い陸地が続いています。
とても静かな風景です。
しかし数千年前、ここは今とはまったく違う景色でした。
印旛沼は、もともと海とつながる大きな入り江の一部でした。
貝塚からはアサリ、ハマグリ、マガキなど海水や汽水を好む貝が見つかっています。これは、このあたりまで海の影響が届いていたことを示しています。i Kouiki
さらに時代が下っても、現在の印旛沼だけが独立して存在していたわけではありません。
霞ヶ浦や北浦、手賀沼などを含む広い水の世界がありました。
この風景を頭に入れてから神社を見ると、位置の意味が変わります。
今なら神社まで車で行きます。
昔なら、船で近くまで来た可能性があります。
あるいは川を上り、入り江へ入り、その先の集落へ向かったかもしれません。
そうすると、神社が「陸上の道の途中にある」のではなく、「水から陸へ上がる場所の近くにある」と見えることがあります。
これはかなり大きな違いです。
古代の移動を道路だけで考えると、神社の配置が不自然に見えることがあります。
でも水面を戻せば、
ここなら船を着けられる。
ここなら台地へ上がれる。
ここなら集落を守れる。
そんな場所が浮かんできます。
古代人が地図を持っていたかどうかは問題ではありません。
人は毎日使う道を身体で覚えます。
どの川を入ればいいか。
どの岬を曲がればいいか。
どこに浅瀬があるか。
どこなら風を避けられるか。
その記憶の先に祭祀の場所があったとすれば、神社はただの宗教施設ではありません。
移動の目印であり、
地域の境界であり、
人が再び集まる場所でもあったでしょう。
現在の印旛沼を見ると静かな湖です。
でも古代の水面を戻せば、ここは東国の人間が行き交う交通の世界だった可能性があります。