「資料に書いてあること」と「私が考えたこと」は分ける
2014.05.26
歴史を考えていると、どうしても途中から自分の想像が入ります。
それ自体は悪いことではありません。
むしろ残された資料だけで、二千年前の出来事を完全に再現することなどできません。
問題は、どこまでが残された事実で、どこからが自分の考察なのか分からなくなることです。
たとえば、古墳がある。これは確認できます。
そこから特定の年代の遺物が出た。
これも確認できます。
古い文献に人物の名前が出てくる。
これも資料として存在します。
地域にその人物の墓だという伝承がある。
これも「伝承が存在する」という意味では確認できます。
でも、「だから、この人物はここで殺された」となれば考察が入ります。
「この人物は民を守ろうとしていた」となれば、さらに人間心理の推察が入ります。
この境界を隠さない。
私はここが大切だと思っています。
資料に書かれていること。
遺跡として確認されたこと。
土地に残る伝承。
そこから自分が考えたこと。
それぞれを分けて並べる。
そうすれば読んだ人も、「私は違うと思う」と言えます。
歴史を押しつける必要はありません。
残されたものを一緒に見て、「あなたならどう考えますか」という余白を残す。
このシリーズも、その場所でありたいと思っています。
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