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新田義貞 鎌倉幕府を倒した武将は、なぜ故郷の上野国で立ち上がったのか【3】

2015.05.18

故郷に戻った義貞を待っていたもの

千早城への追討軍から離れた義貞は、新田荘へ戻ったと伝えられています。

そこで、もう一つの出来事が起こります。

幕府が臨時の課税を求め、徴税のための使者を送ってきたというのです。

『太平記』などには、義貞が幕府から派遣された徴税使に怒り、その使者を捕らえ、一人を斬ったという話が残されています。

太田市周辺には、この出来事に関係すると伝わる史跡もあります。

なぜ、義貞はそこまで強く反発したのでしょうか。

幕府への不満が、すでに限界に達していたのでしょうか。

自分たちの土地に新たな負担を求められたことが、受け入れられなかったのでしょうか。

それとも、すでに倒幕を決意していた義貞にとって、幕府からの徴税は決定的なきっかけになったのでしょうか。

この出来事については、軍記物語に描かれた経過をそのまま確定した事実として扱うことはできません。

しかし、義貞の挙兵と、新田荘の土地や経済をめぐる問題が結びつけられて伝えられてきたことは興味深いものです。

義貞は、突然現れた倒幕の英雄ではありません。

長年幕府の支配下にあった新田氏の当主でした。

その義貞が、幕府と決別する。

それは、義貞一人の立場だけを変える話ではなかったでしょう。

家族や一族、家臣たちにも、大きな影響が及ぶ選択だったはずです。

もし挙兵に失敗すれば、義貞自身が命を失うかもしれません。

一族の所領が没収される可能性もあります。

ともに戦った人々だけでなく、その家族まで危険にさらされることも考えられます。

義貞は、その危険をどこまで見通していたのでしょうか。

生品神社に集まった人々

1333年5月8日。

義貞は、新田荘の生品神社で挙兵したと伝えられています。

現在も神社の境内には、義貞の挙兵に関係する旗挙塚や床几塚などが残されています。

『太平記』によれば、最初に集まった軍勢は150騎ほどでした。

この数字については、軍記物語の記述であることを考慮する必要があります。

しかし、大きな軍勢が最初から用意されていたわけではなく、進軍の過程で人々が加わっていったという点は、義貞の戦いを考える上で重要です。

生品神社に集まった人々は、何を考えていたのでしょうか。

幕府を倒すという目的に賛同したのでしょうか。

新田氏との長年の関係を大切にしていたのでしょうか。

あるいは、義貞という人物の判断を信じたのでしょうか。

その一人ひとりの思いを伝える記録は、十分に残されていません。

しかし、幕府という大きな勢力に対して挙兵する以上、そこに集まった人々にも覚悟が必要だったでしょう。

義貞が兵を挙げたからといって、周囲の武士たちが必ず従うわけではありません。

幕府への忠義を守ろうとする人もいたはずです。

形勢がはっきりするまで、行動を控えようと考えた人もいたでしょう。

そして、義貞とともに戦うことを選んだ人々がいました。

その選択は、どのように生まれたのでしょうか。

義貞が持っていたのは、兵の数だけではなかった

生品神社で挙兵した義貞の軍勢は、その後、鎌倉へ向かって進み始めます。

そして、各地で新たな武士たちが加わっていきます。

なぜ、最初は小さかった軍勢が、大きな勢力へ成長していったのでしょうか。

一つには、鎌倉幕府の支配が各地で揺らぎ始めていたことが挙げられます。

後醍醐天皇による倒幕の動きがあり、楠木正成の抵抗が続いていました。

幕府に対する武士たちの考え方も変わり始めていたのでしょう。

しかし、それだけでは十分ではないと思います。

義貞のもとへ集まった人々には、それぞれの判断があったはずです。

新田氏との親族関係を持つ武士。

長年の付き合いがある武士。

幕府の政治に不満を持っていた人々。

そして、義貞の挙兵を、新しい時代へ進む機会と考えた人々もいたかもしれません。

ここで重要なのは、新田荘が何世代にもわたって築いてきた地域社会です。

義貞が挙兵した1333年に、突然すべての人間関係が生まれたわけではありません。

新田義重の時代から、土地の開発や所領の管理、寺社との関係、周辺の武士たちとの交流が続いていました。

その中で、協力する仕組みや人間同士のつながりが形成されていたのでしょう。

義貞は、そうした先祖からの積み重ねの上に立っていたのではないでしょうか。

もちろん、それらの人間関係がすべて良好だったわけではありません。

所領をめぐる対立や、一族内部の意見の違いもあったでしょう。

しかし、何世代にもわたって地域で築かれてきたつながりが、いざというときに人々を集める力になった可能性は考えられます。

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