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朝廷はどうやって胆沢を支配したのか

2014.10.06

アテルイたちは、土地を知っていました。

川を知り、湿地を知り、山を知り、その土地で人がどう動くのかを知っていた。

大軍を送るだけでは、簡単には勝てない。

では朝廷側は、どうしたのでしょうか。

やがてやり方そのものが変わっていきます。

軍を送る。

それだけでは終わらない。

城を造る。

道を整える。

物資を蓄える。

人を移住させる。

行政の拠点を置く。

つまり、

土地そのものを、自分たちが支配しやすい形へ変えていく。

ここが重要だと思います。

人を一度倒しただけでは、その土地を支配したことにはなりません。

軍が帰れば、また元に戻るかもしれない。

だから人が住み続ける。

役人を置く。

食料を確保する。

道をつなぐ。

軍を常駐できるようにする。

そして802年、胆沢城が造られます。

これは単なる戦勝記念の城ではありません。

そこから人を管理する。

物を集める。

軍を置く。

さらに北へ進む。

支配を続けるための拠点

です。

そう考えると、鹿島や香取で見てきたものとも重なってきます。

水の道を押さえる。

人の集まる場所を押さえる。

祭祀の場所を取り込む。

行政拠点を置く。

そこを足場に、さらに先へ進む。

場所も時代も違います。

でも、人間が土地を支配するときの構造には似たものがあります。

豊かな土地には人が集まる。

人が集まれば交易が生まれる。

文化が生まれる。

力を持つ人も現れる。

そして豊かな場所だからこそ、外からも欲しがられる。

鹿島と香取では、大きな地震があっても人は土地を離れませんでした。

危険よりも、その土地から得られるものの方が大きかったからでしょう。

胆沢でも似ています。

戦いがあった。

それでも簡単には土地を捨てられない。

なぜなら、

そこが自分たちの生活そのものだったからです。

川を取られる。

田畑を取られる。

道を取られる。

暮らし方を変えられる。

だから抵抗する。

そして支配する側は、人を倒すだけでは足りない。

土地そのものを支配できる仕組みを作る。

ここまで見ると、胆沢の戦いは一度の合戦ではなくなります。

日高見と呼ばれた東の世界が、

少しずつ別の仕組みに組み替えられていく過程

だったのではないでしょうか。

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