鹿島と香取の神々が、いつから強く「征夷」と結びついていったのか。【前編】
鹿島神宮の武甕槌。
香取神宮の経津主。
現在では、どちらも武の神としてよく知られています。
国を平定する神。
戦いに勝つ神。
東国を守る神。
でも私は、ここで一度立ち止まりたいと思います。
最初から、そういう神だったのでしょうか。
鹿島と香取の周辺を見てきた時、そこにあったのは戦いだけではありませんでした。
水がある。
舟がある。
漁がある。
交易がある。
集落がある。
古墳がある。
そして地震を鎮める要石がある。
つまり、人々の暮らしに近い場所です。
そこへ後から、
「国を平定した神」
という性格が強く重なっていった可能性はないでしょうか。
ここで注目したいのが、律令国家の東への進出です。
東国を治めるためには、軍だけでは足りません。
人を集める。
食料を集める。
税を集める。
舟を使う。
道を整える。
行政の拠点を作る。
そして、その土地の人々が信じる祭祀の場所も無視できません。
鹿島と香取は、まさにそうした条件が重なる場所でした。
では、そこに国家が入った時、何が起こるでしょう。
私は、
もともと地域にあった祭祀を消すのではなく、国家の物語の中へ組み替えた
可能性を考えています。
土地の人が大切にしていた場所を壊せば、反発が起きる。
でも、
「その神は、実は国家を守る神なのだ」
「この神は、東を平定した神なのだ」
と意味を変えれば、その祭祀を残したまま国家の仕組みに取り込むことができます。
これはかなり合理的です。
神を変えるのではなく、
神の意味を変える。
もしそうだったなら、鹿島と香取が武神になっていく過程は、信仰の変化だけではありません。
政治の変化でもあります。
そして私は、要石が気になります。
地震を鎮める石。
土地を守る石。
そこには「攻める」よりも「守る」という性格があります。
水辺で暮らす人々にとって、
大地が揺れる。
水が荒れる。
舟が出せない。
田畑が壊れる。
そうした災害は、戦争以上に日常の脅威だったかもしれません。
ならば古い祭祀の中心には、
土地を鎮めること
があった可能性があります。
そこへ国家が入り、
武甕槌や経津主という「平定する神」の物語が重なる。
守る神から、
平定する神へ。
土地の神から、
国家の神へ。
もしそうなら、鹿島と香取の歴史には、
支配する側が、土地の信仰をどう自分たちの物語へ組み込んだのか
という痕跡が残っているのかもしれません。
そして、その先に「征夷」があります。
東へ進む。
抵抗する人々を従わせる。
城を造る。
土地を管理する。
その時、武の神が必要になる。
でも本当に必要だったのは、
神そのものより、
その神が支配の正当性を語ってくれること
だったのかもしれません。
鹿島と香取の神々が、いつから強く「征夷」と結びついていったのか。
次は、その記録と実際の歴史を重ねて見てみたいと思います。