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神社をつないでいたのは、水だった

2014.09.28

水辺そのものを祀った場所

だった可能性まで出てきます。

ここで再び香取へ向かいます。

千葉県は、印旛地域について、香取海や利根川の舟運によって古くから人々の往来が
盛んだった地域だと説明しています。

さらに鎌倉時代には、香取の海に面した小見川の津から年貢米が舟で運び出されていた
ことも記録されています。

時代は下ります。

でも、重要なのは、

この地形では実際に水運が成立した

ということです。

古代に同じ航路がそのままあったとは言えません。

しかし、この土地そのものが舟を使った移動に適していたことは分かります。

となると、

印旛沼
↓
麻賀多
↓
香取
↓
息栖
↓
鹿島

を、現代の道路で分断して考える理由がなくなってきます。

むしろ、

一つの巨大な水上ネットワークの各拠点

と考えた方が、人間の動きとしては自然です。

ここで、少し想像してみます。

印旛の水辺で朝を迎える。

舟に荷を積む。

風を見る。

太陽の位置を見る。

水路を進む。

途中の津で人と会う。

物を交換する。

さらに東へ行けば香取。

そこから水域を越えれば息栖、鹿島。

この世界に国境線は見えません。

見えるのは、

水と森と台地です。

では、この水の道を使っていた人々は誰だったのでしょう。

後の律令国家の人々だけでしょうか。

違うはずです。

成田周辺には、古墳時代以前から人が暮らしています。

北印旛沼東岸には200基を超える古墳が群在し、成田市も、この地域がある時期には
古代印波国の中心だったとしています。

つまり、

ヤマトが東へ来る前から、ここにはすでに力を持った人間社会があった。

これが重要です。

鹿島や香取を、

「中央から東国を治めるための拠点」

だけで見ると、その前にいた人間が消えてしまいます。

しかし麻賀多から水の道を逆にたどると、

先に人がいる。

先に舟がある。

先に集落がある。

先に墓がある。

そこへ後から政治が入ってくる。

この順番が見えてきます。

そしてその水の世界をさらに北東へ進むと、

私たちがずっと追っている名前が出てきます。

日高見国。

日高見国を巨大な一国家として地図に塗る必要はありません。

それより、

ヤマトから見て東側には、すでに別の人々の世界が連続して存在していた

と見る。

印旛。

香取。

常陸。

さらに北へ。

水は人を分ける壁ではなく、人を結ぶ道でした。

だとすると、日高見国を考えるときにも、

陸地だけを見てはいけないのかもしれません。

東の人々をつないでいたものは、

水だったのではないか。

水神さまですね。

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