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夏至の朝、麻賀多から香取を見たら【前半】

2014.09.25

神社を結ぶ線は、本当に偶然なのだろうか

前回、鹿島神宮と香取神宮に残る二つの要石から考えました。

大きな地震が起こる土地だった。
それでも、人々はこの場所を捨てなかった。

おそらく、それほど大きな価値がこの土地にはあったのでしょう。

水がある。
魚がいる。
舟が使える。
人と物が集まる。

鹿島と香取の間に広がっていた水の世界は、危険であると同時に、
人が生きるための豊かな場所だった。

そこで今度は、地図を広げてみました。

鹿島神宮。
香取神宮。
息栖神社。

この三社が不思議な位置関係にあることは以前から知られています。

実際の現在地を座標から計算すると、香取神宮から息栖神社の方位は約90.3度。

ほとんど真東です。

息栖神社から鹿島神宮は約3.5度。

ほとんど真北です。

そして香取神宮から鹿島神宮は約45度。

つまり三社は、地図上でかなりきれいな直角二等辺三角形に近い形になります。

神栖市観光協会もこの配置を「東国三社を結ぶ直角二等辺三角形」として紹介しています。

ここまでは以前から知られている話です。

ところが、麻賀多神社を入れてみると、さらに気になる線が出てきました。

印旛沼の南岸には麻賀多神社が十八社あり、成田市台方の麻賀多神社がその中心とされています。

成田市では台方社と船形社の二社を「式内社麻賀多神社」として史跡に指定しています。

その台方の麻賀多神社。

現在地は北緯約35.77度、東経約140.28度です。香取神宮は北緯約35.89度、東経約140.53度。

この二地点を結んでみました。

すると、

麻賀多神社から香取神宮を見る方位は、約60.7度。

ここで少し鳥肌が立ちました。

この緯度で、夏至の日の出はおおむね方位60度前後から昇ります。

つまり現在の鎮座地で計算すると、

夏至の朝、麻賀多神社から見た日の出方向のかなり近くに、香取神宮がある。

のです。

もちろん、これだけで、

「古代人が夏至の日の出に合わせて二社を配置した」

とは言えません。

現在の社地が創建時から寸分違わず同じだったという証明も必要ですし、山や地形によって
実際に見える日の出位置も変わります。

でも、数字として一致していることまで消す必要もありません。

約26キロ離れた二つの古社を結んだ方向が、夏至の日の出方向とほぼ重なる。

これは、一度きちんと考えてみる価値があります。

そして、もう一本あります。

香取神宮から息栖神社。

約90度。

春分・秋分の日の出は、基本的にほぼ真東から昇ります。

すると、

麻賀多 → 香取は夏至の日の出方向。

香取 → 息栖は春分・秋分の日の出方向。

という二本の線が現れます。

偶然でしょうか。

もちろん偶然かもしれません。

でも、私はここで「レイラインだから不思議」で終わらせたくありません。

むしろ逆です。

古代の人間にとって、太陽は時計であり、暦であり、方位磁針でもありました。

田を作るなら季節を知らなければならない。

舟を出すなら方向を知らなければならない。

祭りの日を決めるにも、種を播くにも、収穫するにも、太陽の位置は毎日の
生活そのものです。

現代人がスマートフォンを見るように、昔の人は空を見ていた。

そう考えれば、重要な場所を太陽の方向と結びつけること自体は、決して荒唐無稽な
発想ではありません。

さらに古い地図を見ると、現代の感覚が崩れます。

江戸後期の「成田・香取・鹿島・息栖細見絵図」には、成田、香取、鹿島、息栖が同じ
一枚の世界として描かれています。

現在の県境や高速道路で分断された感覚ではありません。

もっと古い地形へ戻れば、印旛沼と香取側の水域はさらに身近になります。

つまり麻賀多神社は、「内陸にぽつんと存在する神社」ではない。

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