日本列島は、一つの中心から出来たのではなかったのかもしれない
2014.07.19
ここまで水辺を追ってきて、一つの景色が浮かんできます。
河内湖には河内の世界がある。
大和には大和の世界がある。
吉備には吉備。
瀬戸内海には複数の大きな拠点がある。
日本海側には越。
東には鹿島・香取・印旛。
さらに北には東北の地域社会。
それらが完全に別々だったわけではありません。
船が行く。
人が行く。
神も行く。
技術も行く。
結婚もする。
戦争もする。
そんな複数の中心が結ばれていた。
それを後世の一つの国家の地図から見ると、「中央と地方」になります。
でもその国家ができる前へ戻れば、中央そのものがまだ一つではなかった可能性があります。
一つの太陽の周りを地方が回っていたのではなく、いくつもの火が列島各地で燃えていた。
その火同士が結び付き、争い、吸収され、やがて一つの大きな政治秩序へ変わっていった。
そう考えると、日高見国も、吉備も、越も、長髄彦の世界も、別々の珍しい例ではなくなります。
「日本になる前の日本列島では、複数の中心が存在することの方が普通だったのではないか」
そんな問いが出てきます。
そしてこの問いから、次はかなり面白いところへ進めます。
出雲、吉備、筑紫、越、日高見、大和を同じ時代の地図に置いたら、本当に大和だけが最初から中心だったのか。
ここまで広げると、古代日本そのものを別の角度から眺められます。
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