河内湖を見ると、鹿島・香取がもう一度見えてくる
2014.07.06
ここで関東へ戻ります。
鹿島と香取。
その周囲には、現在よりはるかに広い水域がありました。
津がある。
船が動く。
古墳がある。
祭祀がある。
人が集まる。
これだけを見ると、「水辺だから栄えた」と簡単に説明できます。
でも河内湖を見たあとだと、もう一つの可能性が見えてきます。
人間は、水辺をそのまま使っただけではなかったのではないか。
土砂がたまる。
浅瀬ができる。
湿地になる。
そこへ人が入り、水路を整え、土地を利用する。
さらに新しい集落ができる。
また水路が変わる。
何世代も繰り返す。
そうやって津の周囲そのものが育っていった。
河内湖では、人間が水と陸の境界を少しずつ変えていった痕跡が見えます。
ならば香取海周辺でも同じように、自然の変化だけでなく人間の手が加わっていたと考える余地があります。
現在の鹿島・香取を見て、
「昔はここまで水だった」
で終わらせない。
その水際で、人間が何をしたのかを見る。
土地を広げたのか。
水路を掘ったのか。
船着場を整えたのか。
洪水を防ごうとしたのか。
その作業をまとめたのは誰だったのか。
そこまで考えると、津は単なる港ではなく、地域社会を作る中心になります。
河内湖と香取海。
場所は遠く離れています。
でも人間が水辺で暮らす方法には、どこか共通するものがあったのかもしれません。
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