アテルイとモレ。処刑されても、名前は消えなかった
2014.05.11
802年、アテルイとモレは坂上田村麻呂に降伏しました。
その後二人は都へ連れて行かれ、田村麻呂が助命を求めたものの認められず、
河内国で処刑されたと伝えられています。
現在も処刑場所そのものは確定しておらず、
枚方には「伝アテルイ・モレの塚」が残ります。
ここで考えたいのは、処刑地を確定することだけではありません。
二人を処刑した側には、二人を生かして帰すことへの警戒がありました。
それほど地域への影響力を持った人物だったということです。
普通なら、これで終わります。
敗れた。
処刑された。
国家側の記録では敵として整理される。
しかし千年以上経った今でも、アテルイとモレの名前は残っています。
東北では、自分たちの土地を守った人物として語られる。
遠く離れた河内にも、二人に結び付けられた塚がある。
後世になって形成された記憶が混じっているとしても、ここまで
長く名前が残ったこと自体が興味深い。
権力は人を殺すことができます。
記録の中で「賊」と呼ぶこともできます。
でも、人々の記憶まで完全に支配できるとは限りません。
その人物を覚えておこうとする人が一人でもいれば、名前は次へ渡ります。
やがて十人になる。
土地の話になる。
祭りになる。
慰霊になる。
そして何百年もあとに、別の人がその名前を拾う。
歴史は、記録を書いた側だけのものではありません。
書けなかった側も、別の方法で残していきます。
アテルイとモレの物語が今も続いていること自体が、
その証拠の一つなのかもしれません。
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