饒速日は、なぜ消えなかったのか
2014.05.10
饒速日尊は不思議な人物です。
神武天皇の東征より先に大和へ入り、長髄彦の一族と結び付いた人物として
古い伝承に登場します。
大阪の石切劔箭神社や交野の磐船神社では、現在も饒速日尊が祭神として
祀られています。
ここで興味深いのは、単に古い記録に名前があることではありません。
後の王権とは別の系譜を思わせる人物なのに、その名前が消えなかったことです。
祀られた。
神社が残った。
物語が残った。
土地と結び付いた。
長髄彦との関係も残った。
もし勝った側だけが歴史を完全に作り替えられるなら、こうした人物の記憶は
もっと簡単に消えてもよさそうです。
でも消えませんでした。
なぜでしょう。
後の支配体制に取り込まれたから残った部分もあるでしょう。
物部氏の祖として位置付けられたことも大きかったかもしれません。
しかしそれだけで全部説明できるのか。
土地の人々にとって、もっと古くから重要な存在だった可能性も考えてみたいところです。
私はここで「饒速日こそ本当の天皇だった」といった結論を急ぎたいわけではありません。
むしろ逆です。
なぜこれほど複雑な形で記憶が残ったのか。
何を消せて、何を消せなかったのか。
何が後世の制度に取り込まれ、何が土地の伝承として残ったのか。
そこを見る方が面白い。
政治的に敗れたり、主流ではなくなった人物でも、人々の記憶の中では消えないことがあります。
饒速日という存在は、そのことを考える格好の人物なのかもしれません。
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