日高見国は滅ぼされたのか。それとも別の名前に塗り替えられたのか
日高見国という名前は、後世の行政区分には残りません。
常陸国。
陸奥国。
下総国。
上総国。
武蔵国。
律令国家の制度が整うにつれ、地域は新しい名前と区分で整理されていきます。
ここで考えたいことがあります。
名前が消えた時、その地域社会まで消えたのでしょうか。
おそらく、そんなに簡単ではありません。
政治の名前が変わっても、人は暮らし続けます。
川を使う。
船を出す。
田畑を耕す。
墓を守る。
神を祀る。
祭りを続ける。
古い地域社会が、新しい制度の下へ組み込まれたとしても、その記憶まで一度に
消えるわけではありません。
むしろ長い時間をかけて、上から新しい名前が重なっていったのだと思います。
日高見国というものが、どれほど広い範囲を指し、どんな政治的実体を持って
いたのかは、まだ決められません。
しかし東日本に、大和とは別に長い歴史を持つ地域社会が存在したことまで
消す必要はありません。
鹿島。
香取。
印旛。
東北。
それぞれに有力者がいる。
祭祀がある。
水運がある。
古墳がある。
生活がある。
そこへ中央の制度が徐々に伸び、地域の仕組みを自分たちの行政制度へ
組み替えていった。
そう考えると、日高見国が「ある日突然滅びた」というより、その名前と地域のまとまりが、
長い時間をかけて別の政治秩序の下へ吸収されていったと見る方が自然です。
そして最後まで強く抵抗が残った地域の一つが東北だった。
そこにアテルイとモレが現れる。
だから私は、彼らを「日高見国最後の王」とは書きません。
でも、東日本に長く残った独自の地域世界が中央の支配へ組み込まれていく、
その終盤に立っていた人物として見ることはできます。
勝った側の名前だけで歴史を整理すると、古い世界は消えたように見えます。
でも土地には、完全には消えません。
地名に残る。
祭祀に残る。
墓に残る。
伝承に残る。
そして後世の人間が、それをもう一度拾い始める。
日高見国を探すことは、失われた王宮を一つ探すことではなく、上から塗り替えられた
東日本の古い姿を、一枚ずつ剥がしていくことなのかもしれません。