日高見国の「最後」をアテルイにしていいのか
ここまで来ると、一つ危険な誘惑があります。
日高見国があり、その最後の抵抗者がアテルイだった。
一本の物語にすると、とても分かりやすい。
でも、そこはまだ慎重にしておきたいと思います。
日高見国と呼ばれたものが、アテルイの時代まで同じ政治組織として続いていたことを
示す証拠はありません。
何百年という時間があります。
地域社会も変わります。
人も入れ替わる。
勢力も変わる。
だから「アテルイは日高見国最後の王だった」と言ってしまえば、それは物語としては
美しいけれど、歴史考察としては飛びすぎます。
ただし、別の形ならつなげられると思います。
古い時代から東日本には、大和とは異なる地域社会が存在した。
その社会は一つではなく、いくつもの地域勢力や文化圏から成っていた。
大和を中心とする国家が拡大するにつれ、それらの地域は少しずつ制度の中へ
組み込まれていった。
そして東北では、その過程が遅くまで続いた。
その最後の大きな衝突の一つに、アテルイとモレの戦いがある。
これなら、無理に一本の王朝へする必要はありません。
日高見国からアテルイまでをつなぐのは、「同じ国が続いた」という一本の血筋ではなく、
東日本に長く残った地域の独自性そのもの。
私は今、この方がずっと自然に見えます。
そして、だからこそ面白い。
一つの国が滅びた物語ではありません。
いくつもの地域社会が、何百年もかけて別の国家秩序へ組み込まれていく物語です。
そこには戦争だけでなく、婚姻も、交易も、移住も、祭祀も、妥協もあったはずです。
歴史の本当の姿は、勝ったか負けたかだけではなく、その途中にあるのだと思います。