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印旛沼の人々は、何を食べて暮らしていたのか

2014.04.18

歴史を政治だけで見ると、人間が消えてしまいます。

でも毎日を生きる人にとって一番大切なのは、今日何を食べるかです。

古い印旛沼は、現在のような淡水湖だけではありませんでした。

縄文から弥生時代には、海とつながる内海の一部で、周辺の遺跡からはアサリ、
ハマグリ、マガキなど海水や汽水に暮らす貝類が見つかっています。

千年ほど前でも、印旛沼は霞ヶ浦や北浦などへつながる広い水域の一部でした。

魚がいる。

貝が採れる。

水鳥も来る。

周囲の台地では狩りもできる。

時代が下れば田畑も広がる。

つまり、水辺と台地の両方を使える場所です。

これはかなり強い。

天候が悪く米が取れない年でも、魚や貝がある。

逆に漁が難しい季節には、畑や山の恵みを使う。

もちろん実際の比率は時代によって違いますが、一種類の食料だけに依存しない暮らしは、地域社会を維持するうえで大きな意味を持ったはずです。

そして食料に余裕ができれば、全員が毎日食料を採る必要はなくなります。

土器を作る人。

木を加工する人。

鉄を扱う人。

船を作る人。

祭祀を担う人。

地域をまとめる人。

社会の役割が分かれていきます。

古墳を造ることもできる。

神を祀ることもできる。

だから私は、印旛の古代社会を考える時に「水運の中心」だけでは足りないと思っています。

その水は、人を運ぶだけではなく、人を食べさせてもいた。

水があったから暮らしが成立した。

暮らしが成立したから人が増えた。

人が増えたから社会が複雑になった。

その先に古墳や祭祀がある。

神社の歴史をたどっていたはずなのに、最後は毎日の食事へ戻ってくる。

でも本当は、その方が人間の歴史として自然なのかもしれません。

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