鈴鹿御前は、なぜ「女の鬼」になったのか
鈴鹿御前。
ある物語では、美しい女性として描かれます。
ある物語では、盗賊。
そして別の物語では、鬼。
同じ名前なのに、その姿が一定しません。
ここが面白いところです。
三重県立斎宮歴史博物館によれば、「立烏帽子」あるいは「鈴鹿御前」と呼ばれる女盗賊の物語が確認できるのは、『太平記』などが成立する中世以降です。
しかも、物語では坂上田村麻呂が彼女を平定したことになっていますが、田村麻呂が生きた時代には、後世の鈴鹿峠越えの東海道はまだ開かれていませんでした。
つまり、少なくとも物語をそのまま8世紀から9世紀の出来事として読むことはできません。
ではなぜ、
「鈴鹿」
「女性」
「田村麻呂」
「鬼」
が一つになったのでしょう。
ここからは少し、人間の側から考えてみます。
鈴鹿は東国と畿内をつなぐ境界でした。
険しい山がある。
峠がある。
天候が急変する。
旅人を襲う者もいた。
その向こう側には、自分たちの知らない土地が広がっています。
昔の人にとって、境界は不安な場所です。
そして人間は、正体の分からない恐怖に姿を与えます。
山そのものだった恐怖が、
山賊になり、
異形の者になり、
最後には「鬼」になることもあります。
さらに興味深いのは、鬼が女性として描かれたことです。
なぜ男ではなかったのか。
これはまだ分かりません。
山の女神や巫女の記憶が重なったのか。
地域の女性首長のような存在がいたのか。
単に中世物語の文学的演出だったのか。
今のところ、どれも断定できません。
だからこそ、
鈴鹿御前を最初から「架空の鬼」と片付けるのではなく、
「この物語が生まれる前に、鈴鹿という土地にはどんな記憶があったのか」
を追ってみたいと思います。
歴史は、
文字になったところから始まるとは限りません。
文字になるまで、
土地の中で何百年も形を変えながら残っていた記憶があるかもしれないのです。