アテルイと田村麻呂。勝った人だけが英雄になったのか
ここで、もう一度東北へ戻ります。
坂上田村麻呂は英雄になりました。
神社に祀られ、
鬼退治の主人公になり、
日本各地に伝説を残しました。
では、その田村麻呂と戦ったアテルイはどうでしょう。
802年。
アテルイとモレは降伏します。
『日本紀略』に残された記録では、田村麻呂らは二人を故郷へ帰し、他の蝦夷を
帰順させるために利用することを願い出ました。
しかし朝廷側の公卿は反対し、
二人は河内国で処刑されました。
記録の文章は厳しいものです。
アテルイとモレを「賊首」と呼び、信用できない者として描いています。
でも、その文章を書いたのは誰でしょう。
アテルイではありません。
モレでもありません。
勝った側です。
だからといって、「記録は全部嘘だった」とするのも違います。
記録は重要です。
でも、その記録には見る位置があります。
これが大切です。
田村麻呂は国家側から見れば英雄でした。
アテルイは国家側から見れば敵でした。
しかし胆沢に暮らしていた人から見れば、
評価が逆だった可能性があります。
そして不思議なのは、
千年以上経った現在、アテルイやモレを祀り、悼み、地域の英雄として語る
土地が残っていることです。
公式記録では「賊」。
土地の記憶では「守った人」。
この二つは、どちらかを消して一つにする必要はありません。
両方を並べる。
その間に何があったのかを考える。
墓を見る。
塚を見る。
供物を見る。
神社を見る。
地名を見る。
土地の人の話を聞く。
そして最後に文献へ戻る。
机の上で途切れてしまった歴史が、現地ではまだ細い糸でつながっていることがあります。
私は、そこからもう一度組み立ててみたいと思います。