国家は、兵だけでなく「人」を移した
2014.02.19
律令国家が東北へ広がっていったとき、動いたのは軍隊だけではありませんでした。
人そのものが移されています。
『続日本紀』には715年、相模・上総・常陸・上野・武蔵・下野の六国から「富民千戸」を陸奥へ移したことが記されています。
東北歴史博物館の講座資料でも、この移民政策が紹介され、城柵設置とともに律令国家による支配拡大の重要な要素だったことが示されています。
ここで想像してみます。
命令を受けて東北へ向かった家族。
生まれ育った関東を離れ、荷物をまとめ、子どもの手を引いて北へ向かった人もいたでしょう。
そして受け入れる側にも人がいます。
知らない集団が、自分たちの生活圏へやって来る。
畑。
水。
狩場。
土地。
人が増えれば、当然それらを巡る関係も変わります。
考古学研究でも、城柵が移民を保護・支援し、移民と蝦夷との摩擦への対応という役割を持った可能性が指摘されています。
こうして見ると、「征夷」という二文字だけでは歴史の半分しか見えません。
軍隊の後ろには行政があり、
行政の後ろには移住する人々がいた。
国家が広がるとは、地図の色が変わることではありません。
そこで暮らす人間の構成そのものが変わっていくことだったのです。
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