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処刑されたあとも、なぜ二人の記憶は大阪に残ったのか

2014.02.09

大阪の枚方に、アテルイとモレの塚が残っています。

東北で国を守った二人。

遠く離れた大阪で処刑されたと伝わる二人。

それなのに、その土地には今も二人の名前が残っている。

花が置かれる。

酒が供えられる。

人が手を合わせる。

私は、そこがずっと気になっています。

もし本当に、ただの「反乱者」だったのなら。

ただの「討たれた敵将」だったのなら。

なぜ、遠く離れた大阪の人たちが、その記憶を残したのでしょう。

誰かが覚えていた。

誰かが伝えた。

誰かが守った。

そして、その誰かの次の世代も、また守った。

そうしなければ、何百年も残りません。

私は、記憶というものは、文字だけで残るものではないと思っています。

墓を守る。

花を置く。

酒を供える。

祭る。

その場所へ連れて行く。

「ここにはこういう人がいた」と話す。

そういう小さな行為の積み重ねで残っていく。

もしかすると、大阪の人たちは二人の最後を知っていたのかもしれません。

どんなふうに連れて来られたのか。

どんな思いで故郷を離れたのか。

どんな最後だったのか。

そして、

「この人たちを忘れてはいけない」

と思った人がいた。

私は、そう考えています。

歴史の表には大きく残らなくても、人の記憶には残ることがあります。

むしろ、名前が広く知られていない人物ほど、

土地で守られてきた記憶の方が重い

こともある。

アテルイとモレは、東北の人だけの英雄ではなかった。

最後の地となった大阪でも、誰かが二人を見ていた。

誰かが惜しんだ。

誰かが手を合わせた。

だから今も、二人の名前がそこに残っている。

私は、あの塚を見ると、

歴史は、勝った側の記録だけでは終わらない

と思います。

人が覚えていれば、記憶は残る。

アテルイとモレは、処刑されたあとも、

大阪の人たちの中で消えなかった。

そのこと自体が、二人がどんな人だったのかを静かに語っているように思います。

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