古代日本は、共和制の連合国家として存在した
古代日本というと、一人の王が上にいて、その命令で国全体が動いていたように
描かれることがあります。
でも私は、そうではなかったと思っています。
地域ごとに集落がある。
それぞれに長がいる。
祭祀を担う人がいる。
農業に詳しい人、船を扱う人、道具を作る人、水を管理する人もいる。
そして大きな問題が起これば、みんなが集まる。
水をどう分けるか。
争いをどう収めるか。
他の地域とどう付き合うか。
祭りをどうするか。
外から来た人を受け入れるか。
一人が全部を決めるのではなく、それぞれの地域や役割を持った人たち
が話し合って決めていた。
今の言葉で表せば、私はこれを共和国に近い社会だったと考えています。
もちろん、現代の共和国と同じ制度があったという意味ではありません。
大切なのは仕組みです。
一人の支配者の国ではなく、みんなの国だった。
卑弥呼も、その頂点に立って命令する王ではなく、連合をつなぐ祭祀の中心だった。
地域の長も、絶対的な支配者ではなく、その土地を代表する人だった。
技術者も、農民も、漁師も、祭祀をする人も、それぞれに役割がある。
誰か一人だけでは国は成り立たない。
だから、違う人たちが力を持ち寄る。
違う地域がつながる。
必要な時には話し合う。
私は、それが古代日本の姿だったと思っています。
そして、この考え方は「和」にもつながります。
全員を同じにするのではない。
違うまま、一緒にやる。
支配ではなく連合。
命令ではなく話し合い。
上下ではなく役割。
それが、日本という国の最初の姿だった。
日本は王が作った国ではなく、たくさんの人たちがつながって作った共和制の連合国家だった。
だから私は、古代日本には共和国的な精神があったと考えています。