古代日本は、一つの王国ではなく連合国家だった
古代日本というと、最初から一人の王がいて、その王が全国を支配していたように描かれがちです。
でも私は、そうではなかったと思っています。
当時の日本には、地域ごとに共同体がありました。
それぞれの土地に長がいて、祭祀があり、ものづくりを担う技術者集団もいた。
普段は別々に暮らしていたはずです。
山のそばで暮らす人。
海のそばで暮らす人。
川や湿地を利用する人。
農耕に強い地域。
祭祀に強い地域。
技術や物流に強い地域。
暮らし方も、得意なことも少しずつ違っていたでしょう。
でも、大事な時にはつながる。
交易をどうするか。
水をどう分けるか。
祭祀をどう行うか。
災害にどう対応するか。
争いをどう収めるか。
外から来た人たちとどう付き合うか。
そういう時に、地域を越えて結びついていた。
私は、これが古代日本の本当の姿だったと思っています。
つまり古代日本は、支配で一つになった国ではなく、必要に応じてつながった地域連合だった。
この見方をすると、九州、四国、淡路、近畿、東海、北陸など、いろいろな場所に似た祭祀や文化、技術の痕跡が残っていることも自然に見えてきます。
「本当の中心はどこか」
「本物の邪馬台国はどこか」
そうやって一か所だけを探すより、複数の中心があって、それらが結ばれていたと考えた方が、ずっと現実に近い気がします。
そして、その連合をつなぐ役割として、「ひみこ」のような祭祀の中心がいた。
また、物部のような技術者集団や機能集団が、地域を越えて動いていた。
そう考えると、古代日本は一人の王が作った国ではありません。
いくつもの地域が、それぞれの役割を持ちながら結びついてできた国。
私は、そこに日本らしさの原点があると思っています。