縄文人は、なぜ弥生人を受け入れたのか
弥生時代になると、日本列島には大陸から多くの人が入ってきました。
でも、渡来してきた人たちを全部「征服者」と見るのは違うと思っています。
もちろん、争いを目的に来た集団もいたでしょう。
実際、弥生時代の遺跡からは武器による傷を受けた人骨も見つかっています。
ただ、それだけではありません。
長いあいだ日本列島では、大きな火山噴火が何度も起きていました。
鬼界カルデラ、阿蘇、桜島。大噴火では、火山灰が何日も降り続き、太陽光を遮り、
食料の確保を難しくします。
非常に細かい火山灰を毎日吸い込めば、肺にも大きな負担がかかります。
そんな土地から逃げる人がいても不思議ではありません。
西へ移動した人。
朝鮮半島へ渡った人。
中国大陸へ向かった人。
一代で遠くまで行く必要もありません。
ある土地に住み、子どもが生まれ、その次の世代がまた移動する。
そうして何世代もかけて遠くへ広がっていった人たちもいたはずです。
私は、その中にはさらに西へ進み、西アジアまで到達した人たちもいたのでは
ないかと思っています。
そして、何世代も後。
ご先祖が暮らしていた日本へ戻ってきた。
その時には、農耕、織物、金属加工、土木、道具づくりなど、多くの技術を身につけていた。
もし、そんな人たちが日本へ戻ってきたらどうでしょう。
食料を安定して作れる。
服を作れる。
水を使える。
丈夫な道具を作れる。
地元の人にとって、それは敵ではありません。
暮らしを良くしてくれる人です。
だから縄文人は、渡来してきた人たちの一部を受け入れた。
一緒に働き、一緒に暮らし、少しずつ混ざっていった。
そして後の人たちは、農耕を教えた人、織物を教えた人、水を引いた人、
土地を住みやすくした人たちに感謝した。
それが、神様として残った人たちなのではないかと思っています。
どこから来たかより、来てから何をしたか。
古代も今も、人が信頼される理由は案外シンプルなのかもしれません。