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古墳と集落|巨大な墓のそばで人々はどう暮らしていたのか

2013.08.12

巨大古墳の写真を見ると、どうしても古墳そのものに目がいきます。

大きい。

美しい。

どうやって造ったのだろう。

でも、少し視線を外してみます。

そのすぐ近くには、誰が住んでいたのでしょう。

堺市では、百舌鳥古墳群が造られた時代の集落跡が見つかっています。

浅香山遺跡では、古墳時代中期から後期の建物跡や土器などが確認されています。

つまり巨大古墳の近くには、実際に人々の日常生活がありました。

ここで景色が変わります。

巨大古墳だけが、荒野の中に突然造られたわけではない。

近くに家がある。

人が暮らしている。

食事を作る。

道具を直す。

田畑で働く。

そして、その中の誰かは古墳の工事にも関わったかもしれません。

古墳を一つ造るには、大量の土が必要です。

石も必要です。

埴輪も必要です。

堺市が紹介する仁徳天皇陵古墳の試算では、最大で一日2000人が働き、15年以上かかる計算になります。

それだけの人が働けば、当然、食事が必要です。

道具も必要です。

寝る場所も必要です。

病気になる人もいる。

壊れた道具を直す人もいる。

では、そのすべてをどこから用意したのでしょう。

巨大古墳の周りにあった集落を見ると、答えの一部が見えてきます。

古墳を造る人と、暮らす人は別々ではなかったのかもしれません。

普段は農業をする。

必要な時には土を運ぶ。

別の人は埴輪を作る。

さらに別の人は食料を届ける。

共同体全体で大きな仕事を支えていた可能性があります。

そう考えると、古墳の見え方も変わります。

一人の有力者の墓。

それだけではありません。

その時代の人々が持っていた土木技術。

物流。

食料生産。

ものづくり。

そして人をつなぐ仕組み。

巨大古墳には、それらが全部入っています。

古墳の主役として名前が残るのは、埋葬された人物です。

しかし、古墳そのものを形にしたのは、その周辺で暮らしていた無数の人々です。

古墳の隣に残る集落跡を見ていると、歴史の主人公は墓の中だけにいるわけではないことに気づきます。

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