古代日本は職人のネットワークで動いていた
2013.07.23
『日本書紀』には、今読むと不思議な名前がたくさん出てきます。
楯部。
神弓削部。
神矢作部。
玉作部。
大刀佩部。
名前を見れば、それぞれ何をしていた人々なのか想像できます。
盾を作る。
弓を作る。
矢を作る。
玉を作る。
『日本書紀』垂仁天皇39年の記事では、大刀一千口を作る話とともに、こうした複数の「部」が登場します。
ここから見えてくる古代社会は、王が命令して人々が一斉に動く単純な世界ではありません。
それぞれの技術を持った人々がいた。
金属を扱える人。
木を扱える人。
石や玉を加工できる人。
繊維を扱える人。
そして、それぞれが役割を持っていました。
一人ですべてを作ることはできません。
だから技術を持った集団同士がつながる必要があります。
材料のある土地。
作る人のいる土地。
使う人のいる土地。
それらを結ぶ道。
古代の日本列島を動かしていたのは、国境線ではなく、こうした人と技術のつながりだったのではないでしょうか。
歴史を見ると、どうしても王や豪族の名前を追いかけてしまいます。
しかし本当に社会を動かしていたのは、手を動かしていた人たちです。
弓削部、矢作部、玉作部。
名前の残った職能集団の向こうには、名前すら残らなかった無数の職人がいたはずです。
古代日本は、そんな人たちのネットワークによって作られていったのではないでしょうか。
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