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陶邑は古代日本のエンジニアたちが集まる「工業地帯」でした

2013.06.13

大阪府南部の泉北丘陵には、「陶邑窯跡群」と呼ばれる巨大な須恵器の生産地があります。

現在の堺市を中心に、和泉市や大阪狭山市まで広がる地域です。

古墳時代に始まった須恵器生産は長期間続き、数百基規模の窯跡が確認されています。

須恵器を焼く新しい技術は朝鮮半島から伝えられたとされ、陶邑で作られた須恵器は
各地へ運び出されました。

これだけを見ると「大きな焼き物の産地だった」で終わります。

でも、ものづくりの現場として考えると、少し違う景色が見えてきます。

須恵器を作るには土が必要です。

ロクロを扱う人が必要です。

窯を作る技術が必要です。

高温を維持する大量の燃料も必要です。

完成した製品を運ぶ人も必要になります。

陶邑の窯は斜面を利用した窖窯で、高温で須恵器を焼く仕組みでした。

発掘された窯には何度も補修や改修されたものもあり、同じ場所で試行錯誤を重ねながら
生産していたことが分かります。

つまり、そこにいたのは「焼き物職人」だけではありません。

材料を探す人。

薪を集める人。

山を管理する人。

運搬する人。

窯を補修する人。

食料を作る人。

そして、新しく入ってきた技術を覚え、次の世代へ伝える人。

一つの須恵器の後ろには、多くの仕事があったはずです。

さらに、作っただけでは産業にはなりません。

各地へ運び、必要とする人のところへ届ける仕組みが必要です。

陶邑で大量に作られた須恵器が各地へ運ばれている以上、生産地だけではなく、
そこから先へつながる物流も存在していました。

ここまで重ねると、陶邑は単なる「古代の窯跡群」ではなくなります。

外から来た新しい技術を受け入れ、土地の資源を使い、多くの職人や周辺の
人々が役割を分担し、製品を広い地域へ送り出していた場所。

現在の言葉を借りるなら、古代の大きな工業地帯に近い姿だったのではないでしょうか。

もしそうなら、古代日本の発展を王や戦いだけで説明することはできません。

社会を変えた大きな力の一つは、陶邑のような場所で毎日ものを作り続けた技術者たち
のエンジニアリング力だったのではないでしょうか。

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